東亞合成初代社長就任とは? わかりやすく解説

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東亞合成初代社長就任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 09:30 UTC 版)

福澤駒吉」の記事における「東亞合成初代社長就任」の解説

駒吉率い矢作水力では、天竜川水系における電源開発実施際し開発した電力自家利用して窒素工業事業立ち上げる方針定めた多量電力投じた電気分解原料水素生成し次いでアンモニア合成、そこから硫酸アンモニウム硫安)・硝酸製造する、という工程からなる事業である。工場建設中の1933年5月化学事業資本金300万円の子会社矢作工業第一次)に移される駒吉同社社長兼任した矢作工業1933年末からアンモニア合成着手翌年から順次硫安硝酸製造始めた一方ソーダ事業では、1930年代に入ると好況波に乗って名古屋港昭和曹達工場において増産重ねたのに加え昭和曹達姉妹会社2社を新設した。一つ横浜市鶴見区での新工場建設のため1934年昭和9年5月資本金150万円設立した鶴見曹達もう一つ香川県綾歌郡坂出町(現・坂出市)での新工場建設のため翌1935年昭和10年5月資本金150万円設立した四国曹達である。両社とも駒吉社長兼ねた鶴見工場1935年4月坂出工場1936年4月それぞれ竣工している。 日中戦争勃発機に硫安事業電気事業対す国家統制強化されたことに伴い1940年昭和15年3月矢作水力矢作工業合併した続いて同年10月31日付で矢作水力経営陣異動があり、副社長成瀬正忠(元白山水社長)が第3社長に就任し駒吉初代会長就任した。しかしその1年半後の1942年昭和17年4月電気事業に関する国家統制深度化によって、矢作水力国策会社日本発送電および中部配電へと電気事業出資して会社解散に至る。解散際し化学工業部門については再度独立させる方針が採られ、同年3月31日付で矢作工業第二次)が新設された。駒吉は2か月後の5月30日付で矢作工業取締役社長就任している。戦時下影響ソーダ事業にも及んでおり、翌6月事業効率化のため昭和曹達鶴見曹達四国曹達合併実施された。 太平洋戦争戦局悪化しつつあった1944年昭和19年4月限られた資金資材活用し一層の増産を図るべく、福澤系の矢作工業昭和曹達三井化学工業系の北海曹達レーヨン曹達両社とも富山県伏木工場設置)の4社合併決定7月17日付で合併成立し存続会社矢作工業社名改めることで、ソーダ工業窒素工業両部門を擁する資本金4088万円化学メーカー東亞合成化学工業」(現・東亞合成)が発足した東亞合成化学工業経営陣には、株式4分の1を持つ三井化学工業から荘原和作が会長就任し駒吉矢作工業から引き続いて社長務めることとなった東亞合成初代社長就任した駒吉であったが、会社発足のころから体調崩しており、半年後の11月29日実施され取締役改選機に社長から退いた以後療養生活を送るが、翌1945年昭和20年3月18日神奈川県鎌倉市扇ヶ谷別邸死去した。満54歳没。死去時まで東亞合成取締役には在職していた。

※この「東亞合成初代社長就任」の解説は、「福澤駒吉」の解説の一部です。
「東亞合成初代社長就任」を含む「福澤駒吉」の記事については、「福澤駒吉」の概要を参照ください。

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