東ローマ帝国による征服事業とは? わかりやすく解説

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東ローマ帝国による征服事業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:43 UTC 版)

西ローマ帝国」の記事における「東ローマ帝国による征服事業」の解説

ゴート戦争」も参照 テオドリック526年没したとき、もはや東ローマ帝国西ローマ帝国とは文化的に別物になっていた。西ローマ帝国では古代ローマ式の文化維持されていたのに対し東ローマ帝国では大幅にギリシャ化進んでいた。また、東ローマ皇帝にとって「皇帝」の名に反して帝国首都ローマ支配していない事実容認し難い事であったローマ市西方正帝廃止された後も名目上帝国首都(caput imperii)として君臨した東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世は、西ローマ帝国の地を彼らが蛮族呼んだ人々から奪還しようとして幾たびかの遠征おこなった最大の成功は、二人将軍ベリサリウスナルセス535年から545年行なった一連の遠征である。ヴァンダル族占領された、カルタゴ中心とする北アフリカの旧西ローマ帝国領が東ローマ皇帝領として奪回された。遠征最後にイタリア移りローマを含むイタリア全土と、イベリア半島南岸までを征服する至ったユスティニアヌス1世テオドシウス1世から約150年ぶりに、西方領土東方領土両方単独実効統治するローマ皇帝となったのである。 しかし皮肉にもユスティニアヌスによる「皇帝」の権威回復は「帝国」の解体促進したユスティニアヌスによる長年にわたる征服戦争経済的に文化的に西ローマ帝国に深刻すぎる損害与え、「ローマによるローマ帝国」という理念信じていた西ローマ帝国人々幻滅させる結果となったからである。西ローマ帝国保たれていた古代ローマ伝統文化は、その多く失われることとなった。もはや帝国租税台帳更新されなくなりゲルマン王の統治下で繁栄していた地中海交易姿を消した帝国人口減衰率は約50%推定されプロコピオスは「いたるところ住人がいなくなった」と記しローマ教皇ペラギウス1世は「誰一人としてその復興果たしえない」と農村荒廃強調した一説には、東ローマ帝国最終的にローマ手に入れた時、ローマ市人口はわずか500人ほどになっていたともいう。この惨状について、6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世は、「いま元老院はどこにあるのか、市民はどこにいるのか」と嘆いている。しかしながら東ローマ皇帝にとっては、一時でもローマ支配しえた事は、東ローマ皇帝ローマ皇帝名乗り続け精神的な拠り所のひとつになったユスティニアヌス1世によって獲得され西方領土は、彼の死後には急激に東ローマ皇帝の手から離れていった。さらにギリシア語圏の東ローマ帝国ラテン語圏の西ローマ帝国文化的な差異宗教対立大きくなると、2つ区域は再び競争関係に入ったマウリキウス次男ティベリオス(英語版)を597年西方正帝指名して西方領土維持固執したが、そのマウリキウス602年フォカス反乱によって殺されてしまう。この後サーサーン朝イスラム勢力による侵攻激化加わり混乱状況乗り越える中で東ローマ帝国国制大きく変容し、古代ローマ的な要素失われていくこととなる。

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