最初の奨励会退会
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出身の広島県の隣県である岡山県出身の菅井竜也とは親しく、子どもの頃に将棋を教えたほか、後援会会員であった。三段リーグ編入試験では、初段の菅井と対局し敗れている。詰将棋の作者としても、詰将棋パラダイス半期賞受賞の実績を有する。 小学2年で父から教えられ将棋を覚える。関西研修会に入会後、関西奨励会を受験も1回目は不合格。翌年関西研修会でクラスを上げ1987年9月に中学2年で関西奨励会編入。関西同期では四段入りしたものは居らず、関東同期では川上猛・三浦弘行・田村康介ら。1994年の第15回から三段リーグに在籍していたが、1999年の第25回で年齢制限により退会。この奨励会時代の師匠は小林健二。 奨励会入会後は、上阪し師匠小林宅の近くで一人暮らしを始める。一人暮らしで将棋以外の遊びも覚え、1992年には師匠から「広島に帰ってやり直せ」と叱責され実家に戻った。将棋に対する熱意は捨てがたく、地元でのアマ強豪の励ましもあり飲食店でアルバイトをしながら塾生を続けた。退会まで三段リーグの成績は、11期198戦101勝97敗と勝ち越していた。 三段リーグ初参加の第15回の成績は5勝13敗と降段点を喫する寸前であった。このうち1勝は、対局相手が直前に途中退会したための不戦勝であり、他4勝は全て後に棋士となる相手からであった(野月浩貴、堀口一史座、山本真也、増田裕司)。この成績は、途中退会者を除き最下位の成績。 第18回は瀬川晶司が年齢制限で奨励会を退会した期で、大崎善生著「将棋の子」にも取り上げられた混戦の回であり、最終日に昇段の可能性があったのは、自力昇段の12勝4敗の3名(1位堀口一史座、14位野月浩貴、23位藤内忍)と他勝敗に影響される11勝5敗の2名(6位中座真と11位今泉)と10勝6敗の3位木村一基までの6名。今泉は連勝のみ昇段の可能性があったが、1局目の木村に敗れ昇段を逃す。昇段はなくなったが、2局目の勝てば自力昇段の中座に勝利する。中座が1局目に勝利していたため同じ12勝6敗であったが、順位は中座の方が上位(前期中座は10勝8敗、今泉は9勝9敗)であったため次点に終わり昇段できなかった。 第21回は、次点の弟弟子伊奈祐介と同星の11勝7敗であったが、順位が4位伊奈で5位今泉のため今泉は次々点であった。なお直接対決では敗れている。伊奈は次期も次点を獲得し、次点2回で制度変更後初のフリークラスの四段昇段を果たしている。12勝6敗の2位で昇段した増田裕司は年齢制限ぎりぎりであり、直接対決では今泉が敗れている。 第23回は、最終的に昇段した山本真也と中尾敏之の同星である12勝6敗の成績も、順位差で次点に終わる。最終日までに連勝で無条件の11勝5敗の2名(8位安用寺孝功と19位今泉)と10勝6敗の5名(1位山本、2位金沢孝史、3位大平武洋、4位松本秀介、7位中尾)の7名に昇段の可能性があった。1局目の大平には勝利したが、2局目の中尾に敗れた。敗れた場合でも順位上位の11勝6敗の3名(山本対大平、松本対宮田敦史、安用寺対金沢)が後者に負けた場合のみ、中尾と共に昇段であったが、山本が勝利したため今泉は昇段を逃した。なお中尾は、畠山成幸と畠山鎮以来の兄弟棋士を目指した松本秀介(第17回にプロ入りした松本佳介の3学年下の弟)が敗れたため、昇段を果たした。 第18回、第23回と2度次点を獲得しているが、「次点2回でフリークラス編入」という規定ができたのは第20回のため、第18回の次点はカウントされず、第23回三段リーグを終えた時点でフリークラス編入の権利は与えられなかった。1999年度前期の第25回三段リーグで26歳の年齢制限を迎え、奨励会を退会する。
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