旧ヤマト運輸株式会社時代
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「ヤマトホールディングス」の記事における「旧ヤマト運輸株式会社時代」の解説
1919年(大正8年)11月29日 - 大和運輸株式会社(旧)を設立。 1923年(大正12年) - 三越呉服店(現・三越)の専属配送契約。 1929年(昭和4年)2月21日 - 第二大和運輸株式会社設立。 5月1日 - 第二大和運輸株式会社、大和運輸株式会社(旧)と合併し、大和運輸株式会社(新)に社名変更。 6月 - 日本初の路線トラック事業(東京-横浜間)を開始。 1957年(昭和32年) - 現在の会社ロゴマーク「親子クロネコ」を制定して使用開始。同年のアライド・バンラインズとの業務提携時、社長の小倉康臣がアライドの「白猫の親子猫マーク」に強く惹かれて許諾を得、広報担当者の子弟が落書きした黒猫をアレンジして作成。 1976年(昭和51年) - 関東地方を対象にした「宅急便」サービスを開始。 この間、「宅急便」の全国展開が図られていくが、この過程で監督官庁の運輸省(現・国土交通省)の事業認可の問題があり、山梨県などでは行政訴訟にまで発展した。 1979年(昭和54年) - 創業時からの取引先であった三越との取引停止(原因は三越事件・燃える秋を参照のこと)。 1982年(昭和57年)10月1日 - ヤマト運輸株式会社(旧)に商号変更。同年に資本参加した宅急便の東南九州地区のフランチャイジー、富士運送を九州ヤマト運輸に商号変更。 1990年(平成2年) - アメリカの貨物航空会社大手ユナイテッド・パーセル・サービスと提携、合弁会社「UPSヤマトエクスプレス」を設立(2004年に合弁解消)。 1991年(平成3年) - 宅急便の四国地区のフランチャイジー、四国高速運輸(現在の同名会社とは別法人)を子会社化し、四国ヤマト運輸に社名変更。 1996年(平成8年) - 年中無休化(以前は年末年始に休業していた)、伊豆七島への拡大。 1997年(平成9年) - 小笠原諸島(母島、父島)への拡大。離島を含む全国ネットワークの完成。 2000年(平成12年) - 台湾の食品・小売業者大手統一企業と提携、合弁会社「統一速達」を設立。 2003年(平成15年)東京国際空港と新千歳空港で運航された深夜フライト便を利用した、関東(1都7県)と北海道間を一晩で結ぶ超速宅急便のサービス開始。 4月1日 - 四国ヤマト運輸(四国4県)・九州ヤマト運輸(大分・宮崎・鹿児島)を吸収合併し、沖縄県以外を直轄化。 2004年(平成16年)3月23日 - 個人でもクロネコメール便が利用可能になる。 5月 - コンビニエンスストア・宅急便取扱店でクロネコメール便の取次ぎ開始。 2005年(平成17年)3月31日 - 子会社のヤマト運輸分割準備株式会社を設立。
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