旧ユーゴスラビアとキリル文字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 19:16 UTC 版)
「キリル文字」の記事における「旧ユーゴスラビアとキリル文字」の解説
バルカン半島北西部に居住する南スラヴ語群に属するいくつかの民族は言語的にはほとんど差異がなく、セルビア・クロアチア語と呼ばれる方言連続体を形成していたが、地域によって使用する文字は異なっていた。西部に居住するクロアチア人はカトリック教会に属しており、同じくカトリックに属するハンガリーとの関係が深かったこともあってラテン文字を使用しているのに対し、東部のセルビア人は正教会を奉じており、キリル文字を長く使用していた。1943年にこの地域に成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの連邦国家」という言葉に象徴されるようにかなり広範な地方自治を認めており、文字に関しても統一を行うことはなく二つの文字が並立する体制が続いていた。この時期のユーゴスラビア国内においては、西のスロベニア社会主義共和国およびクロアチア社会主義共和国においては主にラテン文字が、東のボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国やセルビア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国、マケドニア社会主義共和国においては主にキリル文字が使用されていた。ただし、お互いの文字圏において別の文字が使用されることは珍しいことではなかった。クロアチアで成立したガイ式ラテン・アルファベットとセルビア語キリル・アルファベットが完全に1対1で対応しており(ただしキリル1文字をラテン2文字で表記する場合がある)、併用しやすかったこともこの傾向を促進していた。 こうした状況は、1991年のユーゴスラビア崩壊によって変化した。統一言語として扱われていたセルビア・クロアチア語は崩壊し、それぞれクロアチア語・ボスニア語・セルビア語として別個の言語として扱われるようになった。これに伴い、ボスニア内においてもクロアチア人はラテン文字を使用し、ボシュニャク人もキリル文字を使用することはあるもののラテン文字を主に使用するようになり、セルビア人は逆にキリル文字を使用する頻度が高くなった。
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