日蓮遷化記録〈日興筆/弘安五年十月十六日〉
主名称: | 日蓮遷化記録〈日興筆/弘安五年十月十六日〉 |
指定番号: | 141 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1993.01.20(平成5.01.20) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 弘安五年(一二八二)九月、日蓮は身延をたって武蔵千束郷の池上宗仲の館に入り、ここを臨終の地と定め、さらに十月八日には滅後の法灯のために本弟子六人(後の六老僧)を決めるとともに、経一丸(日像)に京都開教を遺命し、十三日辰時、六一歳をもって遷化した。遺骨は遺言によって身延へ送られ、翌年正月には本弟子等十二名の人々によって身延の月次輪番制が定められた。 この文書は、本弟子の一人である日興が日蓮入滅前後の葬送の次第を自筆をもって記したもので、その内容は弘安五年十月十六日日蓮葬送日記と、弘安六年正月日の身延番帳からなる。 日蓮葬送日記は、弘長元年(一二六一)の伊豆流罪と文永八年(一二七一)の佐渡流罪、同十一年の身延入山から筆を起こし、弘安五年九月十八日の池上入御より葬送の次第を詳述する。ここでは、初めに「蓮花阿闍梨日持」から「弁阿闍利日昭」までの六名を本弟子として定め、これら六人の各々が日興執筆になる本弟子の定書を所持したことを注記し、ついで辰時に入滅。翌十四日戍時に入棺がなされ、子時に至って営まれた葬送の次第を、中央に御興に乗せられた棺を中心に、前段に冨木常忍等有力壇越による先火以下の行列、後段には日昭・日朗に率いられた僧侶が続く有様として伝えている。文末には日蓮の遺言がみえ、晩年の日蓮が注法華経をもって私集要文の文として後世に遺さんとしたことを明らかにしている。 身延番帳はさらに紙をついで、日蓮の百箇日にあたる弘安六年正月をもって定めた身延の墓所の月次の輪番の次第を記している。 本文書の各紙継目裏には本弟子六人の花押がみえ(うち日向・日頂は他行中)、本書が日蓮入滅後の一宗の根本文書として作成されたことが判明するが、中世の高僧の葬送次第を詳述した史料としても、他に類例稀なものといえよう。 |
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