日英水電の設立とは? わかりやすく解説

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日英水電の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 02:38 UTC 版)

日英水電」の記事における「日英水電の設立」の解説

1910年7月日英水力電気創立委員会では、静岡県榛原郡上川根村大字奥泉現・川根本町奥泉)の水利権上記「牛ノ頚計画」にあたる)を「日英水電」へと譲渡し、その「日英水電」はこれを元に水力発電所建設し発生電力県内販売する、という新方針定められた。これには、獲得した水利権一部をもって小規模でも起業実現することで、日英水力電気発起人が持つその他の水利権長期保全する狙いがあった。小規模化した新会社日英水電について、日本発起人イギリス側との共同出資可能性残したが、イギリス側1910年9月出資辞退共有となっていた水利権放棄日本側に通知し11月にはシンジケート解散して共同出資可能性は完全に消滅した日英水力電気創立委員のうち園田・朝吹・大田黒久野田中副島毛利樺山大谷中村10名が発起人となり、1911年明治44年2月20日日英水電株式会社」が設立された。設立時資本金120万円本社東京市麹町区現・東京都千代田区)に設置社長に樺山愛輔就き東京園田孝吉久野昌一大田黒重五郎静岡県中村円一郎取締役東京毛利五郎静岡県木下七郎山葉寅楠監査役名を連ねた7年後1918年5月時点資本金300万円株式数6)ではあるが、主たる株主持株数順に侯爵浅野長勲5000)・樺山愛輔(4732)・侯爵徳川頼倫(3750)・赤星鉄馬3600)・毛利元道3500)・久野昌一(同)がいる。 日英水電参入図った静岡県中部西部では、静岡市静岡電灯1897年開業)、志太郡島田町(現・島田市)で島田電灯1909年開業)、浜松市浜松電灯1904年開業)、磐田郡二俣町(現・浜松市天竜区)で天竜電力1908年開業)がそれぞれ営業していた。電源静岡電灯島田電灯浜松電灯の3社が小規模火力発電であるのに対し天竜電力だけが水力発電採用していたが、小規模であった水力発電元に静岡県内での供給目指す日英水電では、静岡電灯市営問題があり介入避けるべきだが島田電灯浜松電灯などは事業買収応じ可能性があるとの事前調査踏まえ発電所建設とともに既存電気事業買収するという方針定めた日英水電日英水力電気から計画引き継いだ上記「牛ノ頚」地点は、寸又川合流点のやや上流側にある大井川大きく湾曲する部分俗称で、湾曲利用すると約50メートルトンネル開削するだけで25メートルほどの落差得られるという水力発電適地である。発電所名を「小山発電所」といい、その出力は1,400キロワットとされた。着工1911年2月上旬。そして1年後1912年明治45年6月1日より小山発電所送電開始した完成をうけて日英水電15日金谷駅前の長光寺200余り集めて竣工祝賀式を挙行している。

※この「日英水電の設立」の解説は、「日英水電」の解説の一部です。
「日英水電の設立」を含む「日英水電」の記事については、「日英水電」の概要を参照ください。

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