日英米開戦をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:49 UTC 版)
1941年(昭和16年)9月6日の第六回御前会議では、前述の通り、昭和天皇は祖父明治天皇の御製を冒頭で引用した。この意図について、昭和天皇は1985年(昭和60年)4月15日の記者会見で次のように語った。 「会議の議題の第一議に戦争準備をすることが掲げられ、また、次に平和のための努力となっていましたが、私は平和努力と言うことが第一義になることを望んでいたので、明治天皇の御歌を引用したのです」 天皇は、この前日に近衛文麿首相から帝国国策遂行要領の内奏(事前報告)を受けており、このとき天皇の回想と同様の発言があったと、近衛文麿側の手記にも記録がある。 当時陸軍省軍務局高級課員であった石井秋穂は、第一項に戦争、第二項に外交という記述をしたのは自分であると、後にNHKテレビ番組で証言している。 会議当日の杉山元陸軍参謀総長のメモ(杉山メモ)にも、平和的外交をするよう、天皇から命ぜられたと記録がある。
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