日比谷図書館の再建とは? わかりやすく解説

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日比谷図書館の再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:41 UTC 版)

東京都立図書館」の記事における「日比谷図書館の再建」の解説

土岐善麿」も参照 日比谷図書館1949年昭和24年)に仮設館舎での再開をみたものの、同年中田邦造退任以来専任館長置かれず、また消防から危険施設との指摘も受けるなど、未だ本格的な復興にはほど遠い状況にあった1951年昭和26年)には歌人国文学者土岐善麿館長就任当時東京都では新たな学校教育法下での学校整備追われ図書館再建について顧みられることが少なかった中で、土岐は自ら東京大学行われた司書講習参加し慶應義塾大学客員教授ロバート・L・ギトラーに学ぶなど、日比谷図書館再建向けて精力的な活動行った国立国会図書館長金森徳次郎通じて安井都知事に日比谷図書館の再建を要請1952年昭和27年)には土岐理解者であった19人の学者芸術家文化人実業家連名による『東京都立日比谷図書館再建に関する要望書』が東京都知事東京都教育委員会東京都議会議長あてに提出され日比谷図書館再建援護となった昭和28年予算ではなおも建設調査費が計上されなかったが、土岐古くからの友人である衆議院議員安藤正純協力得て1953年昭和28年秋に自由党都議会議員30人余り日比谷図書館訪問視察土岐再建案を説明する機会得たことで、翌1954年昭和29年)から再建に向けた動き本格化することとなる。2016年平成28年)現在も日比谷図書文化館として残る三角形建物は、敷地無駄なく使うための土岐着想よるものであり、施設配置設計には整理課長靖一が対応した1955年昭和30年)に死去土岐同年6月退職勧奨受けたことで、新図書館建設待たずして自ら職を辞した。なお、同1955年1月には八王子市図書館都に移管され、東京都立八王子図書館となっている。 土岐後任には行政畑から前東京都教育庁次長渋谷徳雄が就任新図書館開設向けた具体的な計画推進し司書人事制度について一定の道筋付け開館直前1957年昭和32年5月まで館長の任にあった。同1957年10月新図書館開館し戦後12年経てようやく日比谷図書館復興遂げたのである。なお、この新図書館計画段階では大規模な開架式導入検討していたものの、検討当時大規模図書館での開架導入には慎重論根強く部分的な開架とせざるを得なかったが、1961年昭和36年)の増築の頃には開架式の方が望ましいという考え方普及しており、4階部分増築あわせて既存閲覧室改善が行われ、開架スペース拡充された。

※この「日比谷図書館の再建」の解説は、「東京都立図書館」の解説の一部です。
「日比谷図書館の再建」を含む「東京都立図書館」の記事については、「東京都立図書館」の概要を参照ください。

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