日本上陸からフジテレビでの放送終了まで(1990年 - 2007年)
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「きかんしゃトーマス」の記事における「日本上陸からフジテレビでの放送終了まで(1990年 - 2007年)」の解説
1980年代後半にフジテレビ系の幼児向け長寿番組『ひらけ!ポンキッキ』の放映尺を埋める為のコーナーを検討されていた頃、当時フジテレビで編成部長を務めていた重村一がイギリスのロンドンへ渡った際に本作を紹介されたことに端を発する。『ひらけ!ポンキッキ』内での放映のみでは日本語版製作費が下りなかった為、ポニーキャニオンと共にVHSビデオをリリースするという条件を付けた上で放映の交渉、準備が進められた。オリジナルの英国版では当時ナレーターの一人芝居(語り)により物語が進行する演出が採られていたが、登場するキャラクターの数や日本の感性を考慮し日本語吹替え版においては個々のキャラクターに声優を充てることとなった。吹き替え版演出は『ひらけ!ポンキッキ』のディレクターであった菅野温夫が務めることとなり、菅野を中心にキャスティングオーディションも行われた。 その後、キャストに当時人気があった俳優森本レオや戸田恵子が起用されることとなり、本国の放映開始から約6年経った1990年10月4日より、日本でも『ひらけ!ポンキッキ』内で放送を開始させた。放送開始当時のタイトルは『ブリット・オールクロフトのきかんしゃトーマス』であったが、番組内でも主として『きかんしゃトーマス』または『きかんしゃトーマスとなかまたち』というタイトルで呼称された。その後もイギリスの撮影現場に実際に出向いた企画をポンキッキの特番として放送、1991年より制作された第3シリーズには制作協力としても参加するなど積極的に本国との関係を構築し、番組内でも特に人気なコーナーとして本作の名が知られるようになる。 1990年11月からは幼児雑誌めばえやベビーブック、幼稚園にて連載が開始され、一時期講談社の幼児雑誌「おともだち」に連載され、1991年以降は日本国内のマスターライセンスをソニー・ミュージックエンタテインメントの子会社であるソニー・クリエイティブプロダクツ(これ以下ソニーCP)が取得し、テレビ放映・ビデオ販売以外のマーケティングを同社が請負うようになった。これにより絵本の創刊、玩具などの関連グッズの生産ラインが拡大し、これらが功を奏し本作は日本でも認知度を上げ成功を収める。 1998年には富士急ハイランド内に世界初となる『きかんしゃトーマス』のミニテーマパーク『トーマスランド』も開園し、さらに車内外にキャラクターがデザインされた『トーマスランド号』も運行を開始した。 フジテレビは1993年9月に『ひらけ!ポンキッキ』を放送終了後もポンキッキシリーズに放送を移行しながら本作の放送を継続し、1998年にはポニーキャニオンと共同でパソコンゲーム『きかんしゃトーマスとなかまたち マジカルアドベンチャー』を発売するなどビデオ以外のメディアの製作にも着手する。2000年代に入るとフジテレビの子会社となったフジテレビKIDSが日本語版の制作を行う体制に移り、第6シリーズから第8シリーズまでフジテレビKIDSが制作し、フジテレビにて放送された。 『きかんしゃトーマス』が親番組としていた地上波放送の「ポンキッキシリーズ」は2007年3月に放送を終了。第8シリーズは全26話中25話、1話未放送作品を残しての放送終了だった。その後はBSフジの『トーマスくらぶ』、CSの『チルドレンタイム きかんしゃトーマス』で放送を継続したが、同年10月にフジテレビKIDSは事業方針の変更により所持していた海外番組の放送版権を全て返上することを決定。これに伴い先述のBSやCSでの番組も放送を終了し、すべての版権はマスターライセンスを持つソニーCPに返上されたが、フジテレビジョンの吹き替え音源及び映像は今後も使用されることとなる。フジテレビは最終的に『きかんしゃトーマス』日本語吹替版を第1シリーズから第8シリーズまで制作した。
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