日本上陸、新日本のトップレスラーへ
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「武藤敬司」の記事における「日本上陸、新日本のトップレスラーへ」の解説
1990年9月7日、大阪府立体育会館でのサムライ・シロー(現:越中詩郎)戦で日本初登場。これ以後、新日本プロレス所属選手となり、年に何度か登場しては対戦相手を流血と毒霧地獄に追い込む凄惨な試合を展開した。1992年8月16日の長州力戦でIWGPヘビー級王座、グレーテスト18クラブ王座を獲得。一気に人気レスラーの仲間入りを果たした。1993年1月4日には蝶野正洋と対戦し、試合中に毒霧や凶器などを使用せず、普段のヒールファイトは捨てて正統派ファイトで臨み勝利し、NWA世界ヘビー級王座を獲得した。同年5月3日には福岡ドームでWWF(現:WWE)の大物ハルク・ホーガンとの対決を実現。9月23日には横浜アリーナでタッグを組み、ヘルレイザーズと対戦している。そして同時期に父親であるザ・グレートカブキと対戦。それぞれの主戦場だったWARと新日本プロレスで二度に渡って「親子」対決を繰り広げた。ちなみにこの1度目のWAR参戦の際には阿修羅・原とも対戦し、勝利している。1994年にはアントニオ猪木が自身の引退への布石と銘打ち行ったファイナルカウントダウンシリーズで初戦相手を務めた。その後長らく武藤はムタを封印する。
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