日本のサンドイッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:18 UTC 版)
洋食の普及にともなってサンドイッチも認知されるようになり、軍隊のレシピ集『軍隊調理法』にも収録された。駅弁としては1892年(明治25年)、神奈川県鎌倉市大船の大船軒が大船駅で販売したサンドイッチが日本最初とされている。 1935年(昭和10年)ごろには、東京の豚カツ屋の井泉が花柳界の芸者たちのためにとんかつのサンドイッチ(かつサンド、カツサンド)を作り始めた。 三角形に切られたサンドイッチについては、昭和36年(1961年)、東京の茗荷谷駅近くにあった「フレンパン(婦連パン小石川販売所)」が「フレンサンドイッチ」という名称で販売し始めたものを発祥とする。後楽園球場にサンドイッチを売りに行っていた同店の主人が、「中身が見えるサンドイッチがあれば便利だな」という客の一言から考案したものである。同店がすぐに特許を取得したが、5年後には放棄したため、全国に広まった。以降、日本の店舗販売でよく見られるようになった。 昭和時代後期までの日本では、「サンドイッチ」と言えば耳を切り落とした白い食パンで作るものであり、他のパンを用いたものはほとんど浸透していなかった。飲食店では洋皿の上に紙ナプキンを敷き、その上にサンドイッチを配置しパセリを添えて提供することが多かった。またこの時代はまだマスタードが一般的でなかったため、もっぱら練りからしが代用として用いられたのが味の上での大きな特徴である。 デパートの大食堂や喫茶店などでは、サンドイッチも定番のひとつとしてメニューに掲載された。バリエーションは「野菜サンド」、「ハムサンド」、「卵サンド」、「ミックスサンド」などで、軽食としての扱いのため全体量も具も少なめであった。 中京圏の喫茶店で提供されるサンドイッチには、具に焼きそばやスパゲッティなどの麺類まで用いられることもあった。 1992年には日本に米国のサブウェイが進出した。サブウェイのサンドイッチは大型のバンを用いた「サブマリン」と呼ばれるもので、米国ではありふれていても、日本では一般的ではなかったタイプであった。客が具材を指定し、自分好みのサンドウィッチを目の前で店員に作ってもらえるのも日本人にとって新しい体験であった。その後同チェーン店が増えるにつれ、日本でもそうしたタイプのサンドイッチが次第に定着した。ビジネス街に進出したサブウェイは、忙しいビジネスマンに手軽な昼食の選択肢を増やしたとされる。 日本ではコンビニエンスストアではおにぎりと共に定番商品のひとつとして扱っており、耳を切り落とした食パンで作られたサンドイッチがプラスチック(ビニール)の袋に詰められた状態で棚に並べられる。「卵サンドイッチ」「野菜サンドイッチ」「ツナサンドイッチ」などが定番で、それ以外にも様々な種類のサンドイッチが販売されている。近年では、ハード系のパンを用いたものが販売されることも増えたが、ソフト系のパンのものに比べて高価であることが多い。こうしたタイプのサンドイッチは、製パン業界や流通業などの業務用語で「調理パン」というカテゴリに分類される。 近年、日本人の味覚に合わせて様々なサンドイッチが作られている。前述のスパゲティなどの麺類、コロッケ、メンチカツなどだけでなく、和風食材の海苔やじゃこを具として用いるものもある。つぶあん、こしあん、うぐいすあん、白あんなどの餡類を用いたものもある。
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