日本におけるMP38/MP40
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:51 UTC 版)
「MP40」の記事における「日本におけるMP38/MP40」の解説
第二次世界大戦中にドイツ同盟国だった日本だが、陸軍や海軍(少数ながらMP18やS1-100を輸入して使用)においてMP38/MP40が使用された事は無く、一部の軍人等を除く日本人の多くがMP38/MP40の存在を知るのは戦後になって流入した映画・テレビ映画を通じてである。 大戦中のドイツ軍主装備として認識されていたMP40は、早くからモデルガンとしての製品化が志向され、1967年にはMGC社から本格的な製品(軟鋼板プレス製レシーバと亜鉛合金ダイカストによる切削加工部品の再現)として発表された。 MGC製MP40には、レシーバとマガジンハウジングの固定方法が製造時期によって異なるほか、鋼板の表面仕上げに初期(実物と同じブルー仕上げ)と後期(茄子色仕上げ)の違いがあり、概して初期型の方が評価が高かった。 MGC製MP40に追随して中田商店からTRC(東京レプリカコーポレーション・後にマルシン工業)製のMP40が発売されるが、MGC製と異なり伸縮式リコイルユニットが省略されており、全体のディテール再現性も低く、発売当初から評価は低かった。 これら日本製モデルガンと実物のMP40を比較すると、日本製は全体的なサイズが若干大きい印象(もっさりとしている)を受け、実物の方がすっきりとした小柄な印象である。 また、廃銃として輸入されたMP38をモデルガン化された物が1点存在し、1970年代の雑誌に"100,000,000円"という法外な価格で広告されていた事でも知られている。 モデルガン以外だと、1970年代に製品化されたマスダヤの「シュマイザーMT-36」が挙げられる。これはプラスチック製の弾を連射可能な電動ガンの草分け的な玩具であり、当時は「ダダダ 1秒間に8発 出る出る30発!」をうたい文句にCMが放映されていた。黒と迷彩色のバージョンがあり、外見は折り畳みストックを始めMP40を忠実に模していたが、唯一、弾倉取り付け位置がモーター内蔵の関係で垂直ではなく、ステンガン同様の水平になっていた。 1977年の法改正で軟鋼板プレス製のMGC製MP40は製造・販売が禁止されたが、マルシン製MP40は全体を亜鉛合金で製造して販売が継続された。しかし、法改正による規制をクリアするためにデザインを一部変更した事もあって評価は更に低下した。 その後、マルシンは全体をABS樹脂で新規に製作したMP40を1984年に発表したが、オリジナルの設計をほぼ再現する事に成功しただけでなく、MGC社や従来のマルシン製に用いられていたデトネータ式(開放発火)ではなく、プラグファイア式ブローバック(密閉発火)を採用して、快調な発火性能を実現した事もあって、それまでの同社製MP40への評価を完全に払拭する製品として、今日でも高い評価を受けている。 同ABS製MP40は、その後のマルシン製エア・コッキング式およびガス使用MP40型ASGの母体ともなっているほか、2006年に放映されたTVドラマ『セーラー服と機関銃』のプロップとしても使用された。 また、中国製電動ガンとしてAGMが末期にMP40をベークライトモデル・通常モデルの両方で発売していた(現在は中国当局の捜査によりメーカーが倒産し絶版状態 ただしStG44に関しては金型を他社が引き継いでいる)。そのほかに現在SRC社がブローバック式(ピストンが連動する)タイプのMP40電動ガンを発売している。
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