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ドイツ連邦

(ドイツ同盟 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 09:26 UTC 版)

ドイツ連邦
Deutscher Bund (ドイツ語)



1815年 - 1848年[注釈 1]
1850年 - 1866年
国章)
(ドイツ連邦の旗も参照)

1820年のドイツ連邦
二大国のオーストリア帝国(黄)とプロイセン王国(青)は連邦の国境線(赤)外にも領土を有している。
言語 ドイツ語
イタリア語
低地ドイツ語
チェコ語
スロベニア語
ポーランド語
リンブルフ語
宗教 カトリック
プロテスタント
首都 フランクフルト
連邦議会議長国の元首
1815年 - 1835年 フランツ1世
1835年 - 1848年 フェルディナント1世
1848年 - 1849年 ヨハン
1849年 - 1850年 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世
1850年 - 1866年 フランツ・ヨーゼフ1世
変遷
発足 1815年6月8日
3月革命勃発 1848年3月13日
オルミュッツ協定成立 1850年11月29日
普墺戦争勃発 1866年6月15日
プラハ条約 1866年8月23日
通貨 フェアアインスターラー
現在 ドイツ
 オーストリア
ポーランド
 チェコ
オランダ
ベルギー
ルクセンブルク
クロアチア
イタリア
スロベニア
リヒテンシュタイン
先代 次代
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オーストリア帝国
プロイセン王国
ドイツ帝国
ドイツ帝国
北ドイツ連邦
オーストリア帝国
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ヴュルテンベルク王国
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ルクセンブルク大公国
リヒテンシュタイン公国
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北ドイツ連邦 南部諸国
ドイツ帝国
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ナチス・ドイツ
連合軍軍政期
ドイツ民主共和国
(東ドイツ)
ドイツ連邦共和国
(西ドイツ)
ドイツ連邦共和国
オーストリアの歴史

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マルコマンニ
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バーベンベルク家ザルツブルク大司教領ケルンテン公国シュタイアーマルク公国
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神聖ローマ帝国
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オーストリア帝国
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第一次世界大戦
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第一共和国
オーストリア連邦国
アンシュルス
第二次世界大戦
ナチズム期
第二次世界大戦
戦後
連合軍軍政期
オーストリア共和国
関連項目
ドイツの歴史
リヒテンシュタインの歴史
ハンガリーの歴史

オーストリア ポータル
ドイツ連邦内の各領邦と帝国自由都市(ドイツ語)。
フランクフルトに集まった各加盟諸邦の君主たち(1863年)。

ドイツ連邦(ドイツれんぽう)またはドイツ同盟(ドイツどうめい、ドイツ語: Deutscher Bund)は、旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの35の領邦と4つの帝国自由都市との連合体である。1815年のウィーン議定書に基づいてオーストリア帝国を盟主として発足し、1866年普墺戦争でのプロイセン王国の勝利をもって解消された。

ドイツ連邦はあくまでも複数の主権国家の連合体、つまり国家連合(Staatenbund)であり、連邦国家(Bundesstaat)でない。そのため、「ドイツ連合」や「ドイツ国家連合」などとも訳される(下記「訳語」の項目を参照)。

歴史

ドイツ連邦はライン同盟の解体を受け、ウィーン会議を経て1815年6月8日のドイツ連邦規約に基づいて成立した。 オーストリア帝国(連邦議会議長)、プロイセン王国、4つの帝国自由都市リューベックフランクフルトブレーメンハンブルク)など39の領邦同盟を構成した。なお、旧神聖ローマ帝国の領域を範囲としたため、オーストリアおよびプロイセンの領土は連邦の内と外にまたがっていた。

それまで神聖ローマ皇帝が司ってきたドイツ全体に関わる懸案の審議と議決を目的に、フランクフルトに連邦議会ドイツ語版(Bundestag des Deutschen Bundes あるいは Bundesversammlung)が常設された。軍隊、警察、関税は構成国の主権に属した。連邦議会の議員は諸邦の普通選挙で選ばれた官吏、大学教員等の市民階級の代表が務めた。プロイセンのビスマルクもその一人であった。

1848年三月革命によって存続を危ぶまれたが、1849年に復活した。しかし、1866年普墺戦争に勝利したプロイセンはドイツ連邦を解消、翌1867年プロイセンは北ドイツ連邦を成立させ、ドイツ統一の主導権を握り、後のドイツ帝国の母体とした。

加盟諸邦

連邦議会で4票を有する

連邦議会で3票を有する

連邦議会で2票を有する

連邦議会で1票を有する

ドイツ連邦の旗

法律の草案

ドイツ連邦は国家連合であり、連邦国家では無いので統一された旗は存在しなかった。1848年11月、ドイツ帝国フランクフルト国民議会で採択した(帝国法英語版)黒、赤、金の国旗が、そのままドイツ連邦にも引き継がれた。

訳語

Deutscher Bund はアメリカ合衆国のような連邦国家ではなく、国家の緩やかな連合体(国家連合)であるため、「ドイツ連邦」という訳語は問題があるとする考えもある。連邦国家でないものを「ドイツ連邦」と称するのは本来的にミスリーディングであり、「ドイツ同盟」と訳すほうが望ましいとする[1]。また、訳語に用いられるほかの例としては、「ドイツ連合」[2]や「ドイツ国家連合」[3]などがある。

脚注

注釈

  1. ^ ドイツ帝国によって機能停止。
  2. ^ 1837年まで君主はイギリス国王が兼ねていた。
  3. ^ 1864年まで君主はデンマーク国王が兼ね、以後はオーストリアとプロイセンの共同管理
  4. ^ 君主はオランダ国王が兼ねる。

出典

  1. ^ 「ドイツ同盟」を用いる例に、イェリネク(芦部ほか訳)『一般国家学』学陽書房 や、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』など。
  2. ^ 「ドイツ連合」を用いる例に、小畑郁「国際法の主体」『国際法 第5版』松井芳郎ほか、有斐閣。
  3. ^ 「ドイツ国家連合」を用いる例に、福田耕治『国際行政学 国際公益と国際公共政策』有斐閣。

関連項目




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