日本におけるゴム製造の始まり
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「ゴム」の記事における「日本におけるゴム製造の始まり」の解説
日本における近代的ゴム工業は、明治19年(1886年)に「土谷護謨製造所(のち三田土ゴム)」によって加硫ゴムの生産に成功したことに始まる。創業者の土谷秀立(1849-1919、松前藩家老勘定奉行・田崎忠純の子で土谷駒太郎の養子) は、松前藩が収入源としていた沈没船引き上げや海産物採取などを通して輸入品のゴム製潜水服を知り、明治維新後上京し、実の兄弟である田崎忠篤、忠恕、長国とともに東京市浅草区神吉町(現東京都台東区東上野5丁目15番地)で海産物採取と潜水用ゴム衣の修繕を生業とした。 ゴム衣やゴムホースはすべて輸入品であったため兄弟でゴムの研究を始め、明治16年にゴムのりを作ることに成功した。当初はアメリカから輸入したパラゴム(天然ゴム)を細かく切って揮発油に浸して膨潤させ、硫黄革やリサージなどを加えて長時間練ることでゴムのりを作り、それを皿に移して乾かし、綿棒でのばしてゴムシートにしていた。 その後、独自の熱加硫方法を考案し、明治19年に土谷が土谷護謨製造所を創立、明治23年頃には田崎(長国)が東京職工学校の手島精一教授の米国視察に同行し、原動機によるゴム練りや蒸気による加熱、型の使用についての知見を得た。明治25年には土谷ゴムを改組して、土谷と田崎三兄弟を意味する「三田土護護製造合名会社」に改称、東京市本所区中ノ郷業平橋(現東京都江東区業平橋)にロールを保有する本格的工場を稼働させた。防水ゴム布のほか、ホースやエボナイトなどの工業製品、ゴム玩具やゴム靴も製造し、日清戦争・日露戦争が始まると軍需品も製造し発展した。 明治33年には、明治護謨製造所(現明治ゴム化成)が設立された。 原料となるゴムの栽培は、1875年(明治8年)頃から原産地の南米からインドやシンガポールで試植されはじめ、その後マレー半島などで栽培されるようになった。日本では、1897(明治30)年以降に台湾への移植が試みられ、1902(明治35)年には、マレーにおけるゴム園の経営に初めて日本人が進出し、1903(明治36)年にマレー半島スレンバン付近に笠田直吉と中川菊蔵がゴム園を買収したのが、日本人の南方でのゴム栽培の嚆矢であるとされている。 その後も南方在住の日本人商人や日本からの企業などが乗り出し、米国の自動車産業の急成長により1910年(明治43年)頃にゴム相場が急騰すると、日本人によるゴム栽培事業は本格化した。これ以前よりマレー連邦政府は国籍を問わずゴム植付助成金の貸付など栽培支援をしており、またジョホール王(ms:Sultan Johor)が日本人のゴム栽培業者に対して特に好意的であったことも進出に拍車をかけた。三菱財閥系の三五公司を筆頭に、三井、藤田、古河、森村などの財閥企業が進出し、1911年にはマレーでの日本人経営のゴム園は79を数えたが、第一次大戦後ゴム価格が急落し、その多くが撤退した。
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