新馬戦から東京優駿までとは? わかりやすく解説

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新馬戦から東京優駿まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:18 UTC 版)

ディープインパクト (競走馬)」の記事における「新馬戦から東京優駿まで」の解説

2004年平成16年12月19日阪神競馬第5競走2歳新馬戦2000メートル)で武を据えてデビュー。武は引退まで手綱握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞マイラーズカップなど重賞4競走優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利レース前池江敏行は武に対して「あまり派手に勝たせないでくれ」と願い出ており、レース厩務員市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。 島田明宏によると、このレース翌週水曜日、ある雑誌企画京都シティホテル行われたディープインパクト新馬戦11日前に香港達成した海外通算100勝をメインテーマにしたインタビュー一通り終えたあとに、武の方から「ちょっと読者用に来年楽しみな一頭を言うとしたら、先週デビューしたディープインパクトですね。これはみなさん覚えておいてくださいと言ったという。 続く2戦目は2005年平成17年1月22日に、京都競馬場行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手語っていた。レースでは最後方から競馬をし、4コーナー入って先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線一気突き抜け5馬身差で勝利。武はこのレースについて「前が飛ばしすぎだと思ったからあわてることはありませんでした捕まえられるだろうと思っていました」と振り返っている。この若駒ステークスでの圧勝によって、早くも三冠は確実」とまで言われる存在となった。 次走には皐月賞トライアル第42回弥生賞出走。武はこのレース前にして、マスコミ通じてファン向けて競馬場に見に来る価値のある馬だと思います」とコメントした関東では初出となったが、ハイセイコー超える競走史上最高の単勝支持率71.5パーセント記録したレースでは2歳王者マイネルレコルト京成杯制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回振るわず勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出るレース後、武は勝利騎手インタビュー代表質問終わった後、ディープ良さは何か、と問われると「負けないところです」と答えたまた、3着に敗れたマイネルレコルト鞍上後藤浩輝は、「ディープインパクトに並ばれた時、威圧感感じました」とコメントした第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセントオッズは1.3倍)と1951年昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となったレース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面ローゼンクロイツ接触する場面があった。それでも、4コーナーディープインパクト気を抜く素振り感じた武がレース初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利フジテレビ系実況担当した塩原恒夫アナウンサーゴール直後、「武豊三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃える同時に三冠確実視するコメント発した無敗での皐月賞制覇2001年アグネスタキオン以来16頭目であり、また弥生賞勝ち馬皐月賞制覇アグネスタキオン以来10頭目となった。武は蛯名武五郎渡辺正人岡部幸雄と並ぶ皐月賞最多3勝目挙げレース後の勝利騎手インタビューではディープインパクト走りについて、 いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね と答えた当日中山競馬場には前年5000人近く上回る85146人が入場し売り上げ前年比100.3%の256億7616600円を記録したレース後の記念撮影で武は競馬学校時代1984年無敗での三冠達成したシンボリルドルフ主戦騎手岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ、指を1本立て三冠取りアピールした。 武は勝利騎手インタビューで「感動してます。この馬の強さに…」と言いレース後の記念撮影では指を2本立て二冠アピールした。武によるとこのレースは「アクシデントさえなければ勝てるだろう」というぐらいの自信があったといい、「ディープの状態は万全でしたし、中山2000メートルから東京2400メートル舞台が変わることが、乗っている立場としては気持ち的には楽でした。前走の皐月賞初め目いっぱい競馬をしたことで、ダービーではもっと走るだろうという思いありましたね」と述べている。 そして翌日スポーツニッポンの手記において、武はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し四位洋文は「サラブレッド理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。

※この「新馬戦から東京優駿まで」の解説は、「ディープインパクト (競走馬)」の解説の一部です。
「新馬戦から東京優駿まで」を含む「ディープインパクト (競走馬)」の記事については、「ディープインパクト (競走馬)」の概要を参照ください。

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