新馬戦から東京優駿まで
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「ディープインパクト (競走馬)」の記事における「新馬戦から東京優駿まで」の解説
2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武を据えてデビュー。武は引退まで手綱を握ることとなる。レースでは、上がり3ハロン33秒1の脚で、のちに金鯱賞・マイラーズカップなど重賞4競走に優勝し安田記念で2着となるコンゴウリキシオーに4馬身の差を付けて勝利。レース前に池江敏行は武に対して「あまり派手に勝たせないでくれ」と願い出ており、レース後厩務員の市川は、このデビュー戦の強い勝ち方に「派手にやってしまった」と消耗を心配したが、レース後すぐに息が戻っていたので「クラシックでも戦える」と思ったという。 島田明宏によると、このレースの翌週の水曜日、ある雑誌の企画で京都のシティホテルで行われた、ディープインパクトの新馬戦の11日前に香港で達成した海外通算100勝をメインテーマにしたインタビューを一通り終えたあとに、武の方から「ちょっと読者用に来年の楽しみな一頭を言うとしたら、先週デビューしたディープインパクトですね。これはみなさん覚えておいてください」と言ったという。 続く2戦目は2005年(平成17年)1月22日に、京都競馬場で行われた若駒ステークスだった。レース数日前、武は「すごいことになるから見ていてください」と対談相手に語っていた。レースでは最後方から競馬をし、4コーナーに入っても先頭の馬から10馬身程度の差があったが、直線で一気に突き抜け5馬身差で勝利。武はこのレースについて「前が飛ばしすぎだと思ったからあわてることはありませんでした。捕まえられるだろうと思っていました」と振り返っている。この若駒ステークスでの圧勝によって、早くも「三冠は確実」とまで言われる存在となった。 次走には皐月賞トライアルの第42回弥生賞に出走。武はこのレースを前にして、マスコミを通じてファンに向けて「競馬場に見に来る価値のある馬だと思います」とコメントした。関東では初出走となったが、ハイセイコーを超える当競走史上最高の単勝支持率71.5パーセントを記録した。レースでは2歳王者のマイネルレコルトや京成杯を制したアドマイヤジャパン以下にクビ差ではあったものの鞭を一回も振るわずに勝利し、クラシックの最有力馬に躍り出る。レース後、武は勝利騎手インタビューで代表質問が終わった後、ディープの良さは何か、と問われると「負けないところです」と答えた。また、3着に敗れたマイネルレコルト鞍上の後藤浩輝は、「ディープインパクトに並ばれた時、威圧感を感じました」とコメントした。 第65回皐月賞では、単勝支持率が63.0パーセント(オッズは1.3倍)と1951年(昭和26年)のトキノミノルの73.3パーセントに次ぐ史上2位となった。レース開始直後にいきなり躓き落馬寸前まで体勢を崩し、ほかの馬から4馬身ほど離れた最後方からの競馬になった。さらに向こう正面でローゼンクロイツと接触する場面があった。それでも、4コーナーでディープインパクトの気を抜く素振りを感じた武がレースで初めて鞭を入れると、直線では2着のシックスセンスに2馬身半の差をつけ勝利。フジテレビ系で実況を担当した塩原恒夫アナウンサーはゴール直後、「武豊、三冠馬との巡り合い」と五七五風にその勝利を讃えると同時に三冠を確実視するコメントを発した。無敗での皐月賞制覇は2001年のアグネスタキオン以来16頭目であり、また弥生賞勝ち馬の皐月賞制覇もアグネスタキオン以来の10頭目となった。武は蛯名武五郎、渡辺正人、岡部幸雄と並ぶ皐月賞最多の3勝目を挙げ、レース後の勝利騎手インタビューではディープインパクトの走りについて、 いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。走っていると言うより飛んでいる感じなんでね と答えた。当日の中山競馬場には前年を5000人近く上回る8万5146人が入場し、売り上げも前年比100.3%の256億7616万600円を記録した。レース後の記念撮影で武は競馬学校時代の1984年に無敗での三冠を達成したシンボリルドルフの主戦騎手・岡部幸雄が行ったパフォーマンスと同じ、指を1本立てて三冠取りをアピールした。 武は勝利騎手インタビューで「感動しています。この馬の強さに…」と言い、レース後の記念撮影では指を2本立てて二冠をアピールした。武によるとこのレースは「アクシデントさえなければ勝てるだろう」というぐらいの自信があったといい、「ディープの状態は万全でしたし、中山2000メートルから東京の2400メートルに舞台が変わることが、乗っている立場としては気持ち的には楽でした。前走の皐月賞で初めて目いっぱいの競馬をしたことで、ダービーではもっと走るだろうという思いもありましたね」と述べている。 そして翌日のスポーツニッポンの手記において、武はディープインパクトのことを英雄というニックネームで呼ぶことを自ら提案した。対戦した騎手もその勝ち方を高く評価し、四位洋文は「サラブレッドの理想形」、ケント・デザーモは「セクレタリアトのようなレース運びだった」と語っている。
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