新馬戦を圧勝、弥生賞での頓挫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 00:07 UTC 版)
「サイレンススズカ」の記事における「新馬戦を圧勝、弥生賞での頓挫」の解説
1997年2月1日、京都競馬場での新馬戦(芝1600メートル)で上村を鞍上にデビュー。デビュー前の調教での動きが評判となったことで単勝オッズは1.3倍での一番人気に支持された。スタートから先頭に立つと後続との差を徐々に広げていき、向こう正面に入るとさらに加速し直線に入ると上村がターフビジョンを確認する余裕を見せ、2着のパルスビート(後に重賞2着3回)に7馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイムの1分35秒2は当日の分割レースの勝ち時計とは2秒以上の差があるという驚異的なものだった。鞍上の上村も「間違いなく勝てるだろうけど、どういう強い勝ち方をしてくれるのか、期待はその点だけでした」と振り返っている。京都競馬場でレースを観戦していた競馬評論家や専門誌の記者からは「今年のダービーはこの馬でしょうがない」という声も上がり、パルスピードに騎乗していた松永幹夫は「今日は相手が悪すぎました」とコメントし、5着のプレミアートに騎乗していた武豊は「皐月賞もダービーも全部持っていかれる。痛い馬を逃したと思った」といい、レース後には周囲にもそう喧伝したという。この時武は後ろからサイレンススズカの走りを見て、「体は小さいけど、すごくダイナミックな走り方をする。素晴らしいフォームだな、と」感じたという。 新馬戦後にサイレンススズカはソエが出たことで調教の強度を緩めなければならなくなったが、陣営の「なんとしても皐月賞に間に合わせたい」という意気込みから、橋田は3月2日に中山競馬場で行われる皐月賞トライアル・弥生賞にサイレンススズカを出走させることを表明した。今回のレースはサイレンススズカにとって長距離輸送、2000メートルの距離のレースが初めてであるという不安要素があったものの、陣営は「すべて素質だけで克服できる」と踏んでの出走であった。出走メンバーには前年の朝日杯3歳ステークス3着馬のエアガッツ、この年の皐月賞・東京優駿を制するサニーブライアン、武豊が騎乗するランニングゲイルが登録され、当日の単勝オッズでは1番人気にエアガッツが支持されたが、サイレンススズカはデビュー2戦目でありながらこれに次ぐ2番人気に支持された。 ところが、ファンファーレが鳴り各馬がゲートに収まっていく中、サイレンススズカは突然ゲートの下に潜り込み、鞍上の上村を振り落としてゲートの外へ出てしまった。中山競馬場のスタンドからはどよめきが起こり、振り落とされた上村は足を負傷したものの、サイレンススズカを他の騎手に渡したくないという思いからレースでの騎乗を決意し、サイレンススズカは馬体検査で馬体に異常が見られなかったため出走取消とはならなかったが、大外枠に移されての発走となった。再スタートが切られる直前ゲート内で再びサイレンススズカの動きは激しくなり、そのタイミングでゲートが開くとサイレンススズカはゲート内で立ち上がりかけたことでタイミングが合わず、もがくようにして飛び出したものの今度は大きく左にヨレてしまったため、先頭馬から約10馬身近く離された大出遅れを喫した。それでも1コーナーで馬群に取りつき、外々を回って前方へ徐々に進出していくと、4コーナーでは先頭集団に並びかけようとした。しかし最後の直線で力尽き、勝ち馬のランニングゲイルから1秒5離された8着に終わり、皐月賞の優先出走権獲得に失敗した。 レース後に上村はゲートをくぐってしまったことについて「普段は大人しいし、ゲートをくぐる素振りを見せたことは初めて。やっぱりサンデーの子なのかな。能力のある馬だけに、もったいなかった」と振り返り、橋田は「今はスピードが勝ちすぎているが、筋肉の柔らかさからくる瞬発力に非凡なものがある。将来は相当なところで活躍できる」とサイレンススズカの現状を分析したコメントをした。 レース前にゲートをくぐったことを受け、サイレンススズカにはゲートの再試験と3月23日まで20日間の出走停止処分が下された。サイレンススズカがゲートをくぐってしまったことについては、「サンデーサイレンスの気性の悪さが出た」、「まだ馬が若く、精神的に大人になっていない」といった憶測が飛び交った。橋田はなぜゲートをくぐってしまったのかその原因についてはよくわからないとしつつも、ゲート入りまで厩務員の加茂がついており、「その厩務員がいなくなっちゃったから寂しくなって出ちゃったんじゃないかと思うんですが…」と推測しており、加茂も橋田の推測を認めている。前走の新馬戦では1番枠での発走であり、加茂によるとこの時はサイレンススズカ以外の全馬がゲートに収まるまで加茂もゲート内で待機し、出走馬全馬の厩務員がゲートを離れた瞬間にスタートが切られていたが、弥生賞では真ん中よりの5枠に入ったこと、さらにスタンド前からの発走だったことが原因だったと述べているが、「まさかゲートを潜るとは思わなかった」と振り返っている。この日は稲原一美と若林幹夫も北海道から中山競馬場に訪れていたが、サイレンススズカがレース前とレース本番で見せた態を目の当たりにした両名は口をそろえて「もう競馬なんて見たくない」と言うほど大きなショックを受けた。 弥生賞後のゲート練習で、橋田はサイレンススズカをゲートの中に入れ、一緒にゲートに入った他馬がゲートを出てもサイレンススズカをゲート内にとどまらせるという方法をとり、サイレンススズカもゲート内で暴れずに待ち続ける忍耐力を見せ、練習を始めてから3週目に行われたゲート試験をクリアして東京優駿(日本ダービー)を目指すこととなった。
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