新馬 - 東京優駿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:51 UTC 版)
「シンボリクリスエス」の記事における「新馬 - 東京優駿」の解説
2歳の2001年10月13日、東京競馬場の新馬戦(芝1600メートル)に、岡部幸雄が騎乗しデビュー。クビ差先着して初勝利。出走前に無理をさせないつもりであったが、直線を向いたら脚を使ったことから騎手の判断で脚を使い勝利に至った。その後、藤沢は成長を促すために3か月半の休養を与え、年が明けて3歳となった2002年、1月に復帰し、クビ差の2着。2月は、ハナと1馬身4分の1差の3着。3月は、クビと3馬身半差の3着となり、3連敗。すべて、後方から差し届かずという内容であった。500万円以下4戦目、4月6日の山吹賞では、これまでとは異なってスタートから先行、好位を保った。直線で抜け出し、後方に1馬身4分の3差をつけて先頭で入線、2勝目を挙げた。 ここまでについて、岡部は「(新馬戦の)反動があって、その後はあれだけの素質を持っていながら、競馬がチグハグになったりして2勝目を挙げるまでに4戦も要してしまい、歯がゆかった。(カッコ内補足加筆者)」、また藤沢は「(新馬戦の後)疲労との戦いが待っていました。2戦目を使えたのは3か月半後、2勝目は半年後(中略)でも、こういった体質の弱さというのは若駒にはありがちなこと。(シンボリ)クリスエスも成長とともに自然と体質の弱さは解消してくれました。(カッコ内補足加筆者)」と振り返っている。 続いて4月27日、東京優駿のトライアル競走である青葉賞(GII)で重賞初出走となる。ここまで5戦は岡部と横山典弘が騎乗していたが、どちらも事情があり、騎乗できなかった。そこで、本番の東京優駿で騎乗する馬が既に決まっていた武豊が「代打」を務めた。単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持される。2枠3番からスタートし、好位の内側に位置。残り200メートル地点にて、馬場の最も内側から抜け出し、差を広げた。大外から追い込んだ8番人気バンブーユベントスに2馬身半差をつけ、先頭で入線、重賞初勝利となった。レース後、武は、藤沢に「いいですね。この馬!秋には絶対よくなりますよ!」と述べていた。 5月26日、東京優駿(日本ダービー)(GI)に出走。前年に外国産馬参戦が解禁されており、この年が2年目であった。青葉賞勝利に導いた武は、先約である皐月賞およびNHKマイルカップ3着のタニノギムレットを選択、シンボリクリスエスには岡部が舞い戻った。タニノギムレットが単勝オッズ2.6倍の1番人気、皐月賞優勝馬のノーリーズンが5.0倍、そしてシンボリクリスエスは6.2倍の3番人気であった。 スタートから中団に位置。第3コーナーは中団の内側を追走していたが、最終コーナーでは外に持ち出した。直線では、馬場の中央から追い上げを開始。先頭を6番人気マチカネアカツキ、13番人気ゴールドアリュールが争っていたが、それらをすべて差し切った。しかし、シンボリクリスエスの後方で待機し、大外から追い込んだタニノギムレットの末脚に屈し、1馬身差をつけられて2着に敗れた。 藤沢はトライアルで権利を取った馬が王道を戦ってきた馬に勝つことは難しいとしながらも、青葉賞からダービーへと挑んだことについて「クリスエスやロブロイは、『ここを勝ってダービーに出たい』ではなくて、『ここを勝ったらダービーでも面白いぞ』という馬だった。しかし、それでもその2頭はダービーで2着。クリスエスほどの馬でも、やっぱりトライアルで権利を取った馬が勝つのは難しい」と振り返っている。
※この「新馬 - 東京優駿」の解説は、「シンボリクリスエス」の解説の一部です。
「新馬 - 東京優駿」を含む「シンボリクリスエス」の記事については、「シンボリクリスエス」の概要を参照ください。
- 新馬 - 東京優駿のページへのリンク