新馬 - 弥生賞とは? わかりやすく解説

新馬 - 弥生賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 21:07 UTC 版)

サクラスターオー」の記事における「新馬 - 弥生賞」の解説

平井は、サクラスターオー母父ステイヤーインターメゾであることから、本格化古馬になってからと捉えていた。そのため、無理に成長促そうとはせず、強め調教施されぬままにデビュー迎えることとなった1986年10月5日東京競馬場新馬戦1600メートル)にて、さくらコマース主戦騎手である小島太騎乗し、1番人気2着。続く10月18日、同じ条件である2戦目で、初勝利を挙げた。しかしこの2戦は、ハンディを他の脚で庇いながら走ったため、四肢負担偏ってしまい故障勝利後4か月出走できなかった。この間に年をまたぎ、4歳となった1987年2月21日寒椿賞(400万円以下)で復帰マティリアルに2馬身以上離された5着となった。 それから目標をクラシックに据えて皐月賞優先出走権与えられる3月8日弥生賞GII)に参戦デビューからここまで3戦は、小島騎乗していたが、東信二乗り替わった小島は、さくらコマース専属騎乗契約結んでおり、その通りサクラスターオーにも騎乗していた。しかし、小島好景気時に台頭した他の馬主と親しくするなど、さくらコマース所有馬以外へ騎乗する機会増やしたところ、さくらコマースの全と小島の関係が悪化。全は、弥生賞2日前の3月6日に、騎手変更指示した代わりに、母サクラスマイルへの騎乗経験があり、元・境厩舎所属フリー騎手となったばかり、さらに当時代打屋」呼ばれていた東が起用されるに至った調整ルーム入ろう支度をしていた東のもとに騎乗依頼届き弥生賞前日3月7日朝の調教初めサクラスターオーコンタクト行った当日11頭が出走する中、重賞2勝、朝日杯3歳ステークス2着のホクトヘリオスが2.4倍の1番人気、共同通信杯4歳ステークス優勝重賞2着2回のマイネルダビテが2.8倍の2番人気となり、以降オッズ6倍、7倍の3頭がいて、サクラスターオーは18.9倍の6番人気の支持であったスタートからビュウーコウが逃げ、それにマイネルダビテが続く一方でサクラスターオーホクトヘリオス並んで中団を追走第3コーナーから最終コーナーにかけて、サクラスターオーは外に持ち出して位置上げ大外4番手で直線向いた。それから末脚発揮し逃げるビュウーコウ、抜け出しを図るマイネルダビテを外から差し切り、クビ差をつけて優勝走破タイム2分2秒1は、1984年シンボリルドルフに次ぐ史上2番目の速さであった。また平井にとっては、厩舎開業1年で初重賞勝利、それもクラシックに有力馬を送り込むこととなったレース直後表彰式出席した平井は、青ざめた顔で、足の震え止めることができなかったという。 皐月賞優先出走権獲得し続いて皐月賞出走することになるが、弥生賞から1週間後皐月賞1か月前に控えた3月15日サクラスターオーミルク与えた藤原祥三が59歳脳梗塞のために死去。祥三の妻・京子によれば生産馬サクラユタカオー活躍していた際に、競馬月刊誌優駿』の特集GI勝ち馬故郷」に取り上げられ、祥三は「死ぬまでにせめてあと一回いいからこれに載りたい」と言っており、またサクラスターオー走り見届けた際には「クラシックが楽しみになった」とも言っていた。

※この「新馬 - 弥生賞」の解説は、「サクラスターオー」の解説の一部です。
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