新石器時代・青銅器時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:30 UTC 版)
「グルジアの歴史」の記事における「新石器時代・青銅器時代」の解説
「マイコープ文化」および「クラ=アラクセス文化(英語版)」も参照 コルキス盆地やフラミ渓谷、南オセチアなどグルジア各地で新石器時代の遺跡が発見されており、紀元前6000年から紀元前5000年にかけて以降、刃先に磨製石器を利用した鍬やつるはし、石製の鎌、製粉用の摩臼、貯蔵用の土器などがともなう本格的な定住生活と穀物栽培が始まったと考えられる。石器の石材には主として地元産のフリントや黒曜石が用いられたとみられる。コムギやライムギについては、カフカス地方は最も重要な種の発祥地とされている。また、牛や豚などの牧畜をおこない、ぶどうを含む果樹の栽培もおこなわれていた。後世のグルジアワイン(コーカサスワイン)の祖となる飲料もつくられていたと考えられ、この地はしばしばアルメニアとならんで「ワイン発祥の地」「世界最古のワイン生産地」と称される。 グルジア(ジョージア)を含むカフカス地域は、先史時代にあっては金属精錬の発祥地のひとつとされる。紀元前4000年以降、金・銀・銅など金属を用いた道具の使用がはじまり、とくに銅に錫を合わせることにより強度を増した青銅器がさかんに鋳造された(青銅器時代)。紀元前3700年ころから紀元前2500年ころにかけてのマイコープ文化や紀元前3400年ころから紀元前2000年ころにかけてのクラ=アラクセス文化(英語版)の青銅器時代の遺跡からはおびただしい数の金属器が発見されている。こうした文化はカフカスのなかで孤立していたのではなく、周辺諸地域と連続して展開していたとみられる。『旧約聖書』には青銅器の生産に長じた「タバル」という民族の名が登場するが、ジョージアでは彼らは自分たちの先祖の一流をなすと考えられている。 紀元前2400年ころ、南カフカス地域とアナトリアにインド・ヨーロッパ語族に属する人びとが移住してきたと考えられる。B・A・クフティンがトリアレティ(クヴェモ・カルトリ州)で調査した遺跡によれば、当時のグルジア内陸地方では紀元前2000年紀には遊牧を生業とする諸部族が生活し、部族の指導者とみられる人物の墳墓からは美麗に彫琢された金銀製の容器が副葬されるなど、当時の社会が首長に富と権力を集中させていた様相がみてとれる。また、副葬品には宗教的な儀式の光景なども刻まれ、当時の信仰の一端をこんにちに伝えている。 紀元前2000年紀はまた、オリエント諸地域の諸民族がさかんに移動をおこなった時期にあたっており、紀元前1700年ころに小アジアに成立した王国ヒッタイトは、「クルガン仮説」によれば、ザカフカス地方を経由して移動したインド・ヨーロッパ語族が中心となって建国された国と推定される(ただし、異説もある)。ヒッタイトでは鉄器が使用され、その伝播の広がる速度は青銅器を上回った(鉄器時代)。
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