教会闘争、反ナチ運動時代とは? わかりやすく解説

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教会闘争、反ナチ運動時代(1933–1945)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 14:18 UTC 版)

ディートリヒ・ボンヘッファー」の記事における「教会闘争、反ナチ運動時代(1933–1945)」の解説

1933年1月30日アドルフ・ヒトラー宰相就任ナチ党政権取得直後ボンヘッファーラジオ放送ナチ党の「指導者原理」を露骨に批判したが、放送強制的に中断された。 同年7月には、ユダヤ人公職からの追放目的とした「職業官吏再建法」(de:Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums)が制定され教会にもいわゆるアーリア条項」が適用されるようになったその後、秋までにはドイツキリスト者 (Deutschen Christen) と呼ばれるナチス追随者がドイツプロテスタント教会支配的になるが、こうした動き対抗し9月21日ボンヘッファーマルティン・ニーメラーらと牧師緊急同盟結成。これが後の告白教会に繋がる。ただし、アーリア条項反対した当時の他の教会指導者たちとボンヘッファーが全く同一考え持っていたわけではない。他の指導者たちにとって反対すべき主要な理由は、教会の自由が侵害されるという点であるが、ボンヘッファー問題重大性深く認識していたことが差異である。 同年ロンドンドイツ人教会牧師着任し教会闘争において最も親し友人となる世界教会会議議長チチェスター主教ジョージ・ベル英語版)に出会う1934年4月22日告白教会結成5月末には第1回全国告白教会総会開かれ6月にはカール・バルト起草による「バルメン宣言」が全会一致可決された。 翌1935年4月ロンドンから戻り告白教会による非合法牧師養成所(後にフィンケンヴァルデに移る)の所長となる。ただし、ナチズムとの妥協図ろうとする穏健派告白教会内でも多数派であり、こうした思想的相違から、告白教会内でのボンヘッファー影響大きくなかったこの頃、後の婚約者マリア・フォン・ヴェーデマイヤー (Maria von Wedemeyer) と知り合っている。 1936年8月に、ナチス対す反対により、ベルリン大学から解任される。 1937年7月1日ニーメラー逮捕同年9月、フィンケンヴァルデの牧師養成所ゲシュタポにより閉鎖される1939年6月2日ニューヨーク向けて出発アメリカではニーバーらがボンヘッファー亡命のための準備整えていた。しかし、わずか1か月後にはドイツ帰国することを決断する1939年ドイツ国防軍将校中心とした反ヒトラーグループ(ゲシュタポによって黒いオーケストラ名付けられる)に参加ボンヘッファー役割は、グループ精神的支柱となることのほかに、各国エキュメニズムとの連絡連合国側への情報提供、及び和平交渉であった1943年1月に、マリア・フォン・ヴェーデマイヤーと婚約。しかし、数か月後の4月5日に、ユダヤ人亡命援助したことにより逮捕1944年7月20日黒いオーケストラによるヒトラー暗殺計画失敗終わった7月20日事件)。多く関係者処刑、または逮捕されボンヘッファーの兄クラウス義兄リューディガー・シュライヒャーも逮捕された。 1945年4月黒いオーケストラ一員であったヴィルヘルム・カナリス提督日記からボンヘッファー関与発覚。わずか数日後4月8日ボンヘッファーフロッセンビュルク強制収容所移送され死刑判決を受け、翌日絞首刑処された。同日には、義兄ハンス・フォン・ドホナーニカナリスらも処刑された。兄クラウス義兄リューディガーも4月23日ベルリン銃殺された。ヒトラー総統地下壕自殺しナチス体制崩壊したのはボンヘッファー刑死した3週間後のことだった。

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