政界との協力関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 11:16 UTC 版)
特に、保革伯仲時代と言われた、1970年代から1980年代にかけて選挙応援を通じて保守層に喰い込み、勝共連合の動きが目立ったとされる。勝共連合の母体である統一教会が商業新聞『世界日報』を創刊したのも、この時代と重なる。 「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案#右翼の推進活動」および「世界基督教統一神霊協会の年表#日本で経済活動が中心になって以降」も参照 1990年代から、日本の保守層と関係が薄くなっていたのではとの推測がなされている。有田芳生は「私は以前、安倍(晋三)さんから統一教会と北朝鮮の関係について聞かれたことがある。そのときは「統一教会が接近してきている。会おうと言われているが断っている」と言っていました。安倍さんは北朝鮮に対して強硬な立場で総裁選も近いということから考えると、少なくとも本人の意思では(前述の祝電を)送っていないとは思いますが」とコメントしている。 00年代後半ごろから、日本の保守層との距離が縮まり、再接近している。2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では勝共連合が有田への対抗馬として山谷えり子を当選させるよう、統一協会員に働きかけを行なっていた。このとき有田は、自身のブログに統一協会の内部文書を載せ、統一協会と安倍晋三および山谷えり子の強い関係性を指摘している。「世界思想」2013年9月号は「安倍政権の救国ロードマップ」を特集し、街頭演説をする安倍晋三の姿を表紙に使った。また2010年11月号では「菅『革命』政権」と銘打つ菅直人内閣の批判特集を行い、街頭演説をする菅直人の写真を無断で使用した。 詳細は「安倍晋太郎#韓国・朝鮮・統一教会との関係」および「岸信介#対人関係」を参照 「有田芳生#オウム真理教問題、統一教会」および「山谷えり子#主張・活動」も参照 1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]。 また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清、箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている。 1986年の第38回、1990年(平成2年)の第39回、1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子は、霊感商法の霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない」と回答している。 詳細は「大阪府第3区 (中選挙区)#選挙結果」を参照
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