政界と大衆の非難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/03 02:18 UTC 版)
「タイコンデロガ砦包囲戦」の記事における「政界と大衆の非難」の解説
タイコンデロガ砦からの撤退後に政界と大衆の非難が凄まじかった。大陸会議は衝撃を受けて、スカイラーとセントクレアの責任を問うて批判した。ジョン・アダムズは「我々は1人の将軍を射撃するまで基地を守ることはできないと思う」と記し、ジョージ・ワシントンはそれが「悔しさと驚きの出来事であり、私の理性の範囲内では理解できない」と語った。セントクレアとスカイラーは退却と引き換えに賄賂を受け取った裏切り者という噂まで広まった。 スカイラーは最終的に北方方面軍の指揮官を外され、ゲイツ将軍に挿げ替えられた。タイコンデロガ砦の陥落がその理由に挙げられた。セントクレアは指揮官を外され、審問のために作戦本部に送られた。セントクレアはその行動が名誉あるものであると主張し、軍法会議での査問を要求した。その軍法会議はワシントンに対する政治的陰謀が露見したために1778年9月まで開かれなかった。セントクレアは完全に無罪が証明されたが、その後は野戦指揮官の任務を与えられなかった。スカイラーも軍法会議で如何なる悪事も証明されなかった。 このタイコンデロガ陥落の報せはヨーロッパの新聞のヘッドラインを飾った。イギリス国王ジョージ3世は薄着の女王の部屋に飛び込み、「私はやつらを叩いた!私は全てのアメリカ人を叩いたのだ」と叫んだと伝えられている。フランスとスペインの宮廷は、アメリカ人を支持し、彼らにその港を使うことを認め、貿易も行っていたので、その報せに不満だった。この結果はイギリスを大胆にさせ、フランスとスペインにアメリカに対する港を閉じるよう要求させた。この要求は拒否され、ヨーロッパ列強の間の緊張を高まらせた。
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