改良と生産終了へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:18 UTC 版)
「フォルクスワーゲン・タイプ1」の記事における「改良と生産終了へ」の解説
だが1960年代以降は、設計の古さによるスペース・ユーティリティの悪さや、リアエンジンとスイングアクスル式独立懸架による高速走行時の不安定さ、空冷エンジンの騒音などが問題視されるようになる。しかし、フォルクスワーゲンは後継車の開発に失敗し続けて1970年前後は経営悪化で苦しみ、1974年に前輪駆動方式を採用した後継車のゴルフを世に出すまで、前時代化したビートルを主力車種としたまま、改良のみでしのぐことになった。 1968年には、電装系がそれまでの6 Vから、当時既に一般的であった12 Vへ変更された。外観では、フロントライトが直立した形状になった。また、後輪のトレッドが拡大されたことで、高速安定性がいくぶん改善された。 1968年には、北米市場を意識した大幅な変更が行われた。衝突安全性を高めるために前後バンパーが強化され、テールライトも大型化された。この年より「VWオートマチック」と呼ばれるセミオートマチックのモデルが追加された。これはポルシェの「シュポルトマチック」と同じ機構であることから、フルオートマチックと区別するために通称「シュポルトマチック」と呼ばれることがある。VWオートマチックと北米向けモデルに関しては、リアがダブルジョイント式ドライブシャフトとなり、コーナリング安定性が向上した。 1970年には、71年モデルとしてポルシェ式のトーションバー式トレーリングアームに代わり、操縦安定性を改善するストラット式サスペンションをフロントに備えた1302系が発表された。サスペンションの設計にはポルシェ社が大きく関わったとされ、その後のポルシェ・924系との共通点もみられる。リアサスペンションはVWオートマチック等と同型のダブルジョイントである。サスペンションのみが大幅近代化されながら、外観は在来型ビートルから大きな発展はなかったが、ラゲッジスペース拡大を若干ながら実現している。この系列は1973年には、フロントウインドーのカーブドグラス化、テールライトの更なる大型化などのボディ形状変更で1303系に移行し1975年まで生産された。しかし、これらストラットサスペンション系列と並んで、トーションバー式サスペンションを持つ在来モデルも継続生産された。 この間、1972年2月17日には、累計生産1500万7034台に到達し、フォード・モデルT(1908 - 1927)の1500万7033台という生産記録を追い抜いた。 ゴルフを始めとする1970年代の前輪駆動車へのシフトで、本国ドイツのヴォルフスブルク工場では1978年を最後に製造が終了した。ドイツ最終生産期の500台に、ヤナセが専用シートやノベルティグッズを付けグローリービートルという名の限定車を用意し、日本に運ばれる途中で全て予約完売したという逸話が残っている。 その後も、長期量産によるコストダウンで需要が高かったメキシコでは生産を継続、ブラジルでも一時生産中止していたビートルを生産再開した時期があった。これらは現地での国民車として広く用いられ、他国のマニアからも「新車のビートル」として並行輸入ルートなどで珍重された。 2003年7月30日、メキシコ工場でタイプ1の最終車両が完成し、総生産台数約2153万台を達成して生産終了となった。発表以来、基本的な設計を変えずに2000万台以上を生産した四輪乗用車は、他に存在しない。
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