改良された設計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:10 UTC 版)
コールター、プラウ・シェア、およびモールドボードを備えた基本的な構造のプラウは、1000年の間に渡って使われ続けた。設計の飛躍的進歩があっても、17世紀後半から18世紀にかけての啓蒙時代になるまで、広く一般に普及することは無かった。 モールドボードを備えた中国の犂は17世紀にオランダ人の船員によってオランダに持ち込まれた。そしてその頃、イギリス人に雇われていたオランダ人がイギリス東部の沼地と、サマセット地方のムーアを排水するために、彼らは中国の犂を持ち込んだ。イギリス人は、これらの中国の犂を「中国のプラウ」と呼ぶかわりに「バスタード・ダッチ・プラウ」と呼んだ。従って、オランダ人とイギリス人は、ヨーロッパで初めて、最も効率的な中国のプラウを体験していたことになる。チャイニーズ・スタイルのプラウは、イギリスからスコットランドへと、オランダからアメリカとフランスへと広められた。 イギリス、ロザラムのジョセフ・フールジャム(Joseph Foljambe)は1730年に、ロザラム・プラウ(Rotherham plough)の基本形としてこの新しい形を採用し、モールドボードは鉄で覆われていた。ヘビー・プラウとは異なり、ロザラム(または、ロザラムのスイング)プラウには完全なコールタ、モールドボード、およびハンドルがあった。それは従来の設計よりはるかに軽量で、イギリスで非常に人気となった。もしかすると、工場で量産された最初のプラウかも知れない。 ジェームズ・スモール(James Small)は更に設計を向上させた。彼は数学的手法を使い、1片の鉄から鋳鉄に至るまで様々な設計で実験を繰り返しスコットランド・プラウと呼ばれた。また、一体型の鋳鉄製プラウは、アメリカでチャールズ・ニューボールド(Charles Newbold)によって開発され、特許を取得した。これはニューヨーク、スキピオの鍛冶職人ジェスロ・ウッド(Jethro Wood)によって再び改良され、スコットランド・プラウを3つの部品に分割し、壊れた部品だけを交換出来るようにした。 1837年に、ジョン・ディア(John Deer)は、最初の鋼鉄製プラウを発表した。 アメリカの、以前には農耕には不適当であると考えられていた地域の農地を耕すことが出来るようになったのは、このプラウが鉄製のものよりもはるかに強靭だった為である。その後の改良の方向性は冶金による材質の改善に向かった。鋼鉄製のコールタとシェアと、より軟らかい鉄製のモールドボードの組み合わせは破損を防ぎ、焼入れ処理を行って表面硬化処理を施した鋼鉄製プラウ、そしてついにはコールタを不要にする程に強靭なモールドボードに成長した。
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