スコットランドへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:29 UTC 版)
「ミッドランド鉄道」の記事における「スコットランドへ」の解説
1870年代には、ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道のスコットランドへの路線の使用権を巡って争いとなり、ミッドランド鉄道はスコットランドへの運行を確保するためにセトル-カーライル線(英語版)を建設することになった。 セトル-カーライル線が完成する前に、ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道との争いは解決されたが、議会はミッドランド鉄道がこのプロジェクトから撤退することを許さなかった。また、西海岸においてグラスゴーやエディンバラへの輸送を独占するカレドニアン鉄道と競争するために、ミッドランド鉄道からの路線がカーライルに到達することを熱望していたスコットランドの鉄道会社からの圧力にもさらされていた。グラスゴー・アンド・サウス・ウェスタン鉄道(英語版)はカーライルからダムフリーズとキルマーノックを経由してグラスゴーへの路線を保有しており、またノース・ブリティッシュ鉄道はスコティッシュ・ボーダーズを通じてカーライルとエディンバラを結ぶウェイバリー線(英語版)を建設していた。ミッドランド鉄道は新線の建設を推進しなければならなくなり、1876年にセトル-カーライル線が開通した。
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