改良された派生型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:37 UTC 版)
「Br-2 152mmカノン砲」の記事における「改良された派生型」の解説
Br-2は採用されたものの、本砲に重大な欠点があることは明白だった。問題の一つは、砲身寿命が非常に短いことだった。100発射撃すると砲口初速は4%低下した。この問題に取り組むべく、より長い55口径の砲身が試験的に作られた。また別の試験用砲身はより小さな薬室と深い施条を有した。最終的に後者の解決法が選ばれ、1938年から、量産において、より深い施条を持つ派生型が原型の砲身にとってかわった。新しい派生型は5倍の砲身寿命を持つと主張された。しかしながら新型砲身の寿命は、異なる基準値、砲口初速10%の低下をもって測定されており、実際の改善はおそらく非常に小さいものだった。 本砲のさらなる欠点はその低い機動性であり、砲身の分解輸送によって悪化した。装軌式走行装置を改善する試み、例としては1939年に試験されたT-117試作型があげられるが、これは結局不成功となった。1938年、砲兵総局は、Br-2とB-4 203mm榴弾砲に用いる装輪式走行装置の仕様を提示した。この計画は「プラント no. 172」(ペルミ・プラント)の設計局で取り扱われ、局長はF. F. Petrovであった。設計局は他の仕事で忙しかったため、「工場指標 M-50」と呼ばれた新型車両の開発進度は遅々としたものだった。本車は設計段階から進むことなく、独ソ戦の勃発後に計画が取り下げられた。改修された装輪式運搬車であるBr-15は砲身運搬のために設計されたものであり、1940年に生産が検討されたが、走行装置の機動力を改善するものではなかったために採用されることはなかった。Br-2の派生型の開発は1955年までかかり、これはBr-2Mと呼称された。本砲は装輪式走行装置を持ち、分解輸送を必要としなかった。 射程延伸を目的とし、サボ分離式砲弾を用いたいくつかの実験において、Br-2もまた使用されたが、実験は不成功に終わった。これらは1940年に実施された実験を含み、162mm砲身から162/100mm砲弾を発射した。この砲身は試験中に損傷を受けた。加えて、この砲の弾道性は不満足なものであり、装填にも問題があると判明した。152/107mm砲弾の砲撃では、射程の大きな改善をもたらすことに失敗した。
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