許容された問題点
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設計案を確認する為に行われた模型による水槽実験では、船体抵抗が予想以上に大きく根本的な設計をやり直す恐れが出た。再計算が行われた結果、出力と速度関係問題はなくプロペラ形状の調整で当初の性能が発揮されること、加えて波の打撃による船体疲労も許容範囲であり再設計は必要ないことが確認された。この時主設計者のバッサン造船官は、「本級は他の全駆逐艦より勝る船体形状である」と語ったという。1939年1月には対空兵装の強化として、12.7mm4連装機銃に変えてヴィッカース QF 2ポンド・ポンポン砲(39口径40mm機銃)を追加搭載し、爆雷数も30個に増加した。更に、これらによる速度低下を防ぐため出力は19,000馬力へと引き上げられた。その結果復元性が悪化し乗員スペースが減少、更に建造費が2万ポンド増加するなどの問題が現れたが、これらも許容範囲内とされたまま、ハント級の設計案は1939年2月8日に認可されることとなった。 認可された同日に設計図は5つの造船所に送られたが、造船所は「設計案の機関重量270トンや船体重量460トンは軽すぎであり、それぞれ290トンと475トンに増大するべきだ」と海軍側に指摘した。この事態は海軍側でも認識されており、グドール造艦局長自身の見積もりでも船体重量が487トン程度になると考えられていたが、製鋼所で鋼材を公称寸法に加工できれば重量削減が可能であるという指摘があったため、承認を行っていた。また造船所はハント級の建造費についても、「(当時J級・K級より高額な建造費となっていた)L級駆逐艦よりトン単価が高くなる」と指摘した。海軍側と造船所の調整により使用する鋼材をD鋼に変える等の対策が行われ、建造費も先述の対策や量産効果もあって39万7000ポンドまで減少することとなった。これらにより1939年3月にはハント級の設計問題は解決したという合意が海軍側と造船所でなされた。 1939年6月に9隻が起工されたのを皮切りに建造が始まり、39年末の時点で建造計画数は59隻にまで達していた。第二次世界大戦が開戦した時点では18隻が起工しており、1番艦「アサーストン」は1939年12月12日に進水、翌年2月4日より海上公試が開始された。しかしこの公試の結果、致命的な復原性不足が判明したことから、#設計で述べるような大規模な改修が実施されることになり、「アサーストン」以外の22隻は復原性改善対策の改正内容決定するまで建造中止とされた。「アサートン」は改修を経て、3月25日より公試を再開した。その成果は良好であり、残りの22隻も同様の改正を受けて建造を再開することになり、1941年末までに23隻が完成した。これらは後にI型と区分されるようになった。また1939年9月4日以降の発注分では、スワン・ハンター社により改良された設計が適用されており、II型と称される。 その後、1940年4月には、戦訓を踏まえて要求事項が改訂され、これを適用したIII型は1940年7月4日より順次に発注された。また7月28日には、本来ブラックスワン級スループ向けであった2隻分の契約が本級に振り替えられ、こちらはソーニクロフト社独自のT1306と称される設計を海軍本部が若干手直しして採用したIV型となった。
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