ヘビー・プラウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:10 UTC 版)
基本的なモールドボード・プラウにおいて、耕起する深さはれき溝の中でのランナーの立ち上がりで調整され、その深さは、農夫がプラウを容易に持ち上げられる程度の重さに制限される。この制約により、プラウの構造は、金属製のプラウ・シェア以外は少量の木材で製作された。このプラウはかなり脆弱で、北ヨーロッパのより重い土壌を耕起するのには不適当であった。しかし、プラウの重量を支えるランナーに変えて車輪を導入したことにより、プラウの重量がより重くなっても取り扱い出来るようになり、はるかに大きい金属製のモールドボードが使用出来るようになった。これらのヘビー・プラウは、西暦600年頃の大規模な食糧増産とそれに伴う人口増加に貢献した。 鉄製のヘビー・プラウにおいて、鉄で木を覆った物や、純粋に鉄製のプラウは紀元前6世紀には既に中国で使われていた。これらは世界で最初の鉄製のプラウであった。多くの発明にもかかわらず、ローマ人は車輪の付いたヘビー・モールドボード・プラウを開発することが出来なかった。北イタリアの文書によると、最初にローマ人が使った記録があるのは643年以降である。スラブ語圏における古い単語にヘビー・プラウとその使用を示唆するものがあることから、これらの地域は、より早い時期から使用されていたものと考えられている。ヨーロッパでは、8世紀後半から9世紀前半に北ヨーロッパにおける団地ごとの輪作を行う生産性の改善手法に伴い、モールドボード・プラウが一般的に使われるようになった。フランスの中世農業史家であるマルク・ブロックによる研究では、「araireは車輪が無く、畑を引きずって横切らなければならなかったが、charrueは車輪に乗せられていた。」と2種類の異なったプラウの名称の存在を示した。
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