接続の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/05 03:31 UTC 版)
主束に限らずに接続の歴史を概観する。歴史的には、接続は無限小の視点からリーマン幾何学を扱う際に研究された。クリストッフェルの研究に端を発し、後にリッチ (Gregorio Ricci-Curbastro) とレヴィ・チビタ (Tullio Levi-Civita) が精力的に研究した。彼らはクリストッフェルの意味の接続が平行移動の概念を許容することを確かめている。 レヴィ・チビタは平行移動がその解となるような微分作用素としての接続に注目した。時代が進むのに併せてエリ・カルタンが接続の新しい形式を開発した。彼はクラインのエルランゲン・プログラムにパフィアン (Pfaffian system) に関する技術を応用する手段を探していた。彼はある無限小の接続の概念 (Cartan 接続(英語版)) が適用できることを発見した。この接続は曲率を許容する(古典的なクライン幾何にはないと思われていた)。更に、ダルブーの結果を用いてカルタンは平行移動をカルタン接続にまで一般化することができた。このことは現代でも主要な扱い方の1つである微分形式としての接続を確立した。 微分作用素としての接続と、微分形式としての接続と、接続の理論における二通りの扱いは、現在に至るまで残っている。1950年、Koszul はKoszul 接続(英語版)を使って微分作用素としての接続について代数的な枠組みを与えた。Koszul 接続はレヴィ・チビタ接続よりも一般的で、かつ接続の形式化において不恰好なクリストッフェル記号を最終的に除去することができた(少なくとも隠すことができた)ので取り扱いが容易であった。付随する平行移動操作は接続の用語を用いた自然な代数的解釈を持つ。Koszul 接続は共変微分と平行移動の概念との解析的な対応を代数的な対応に書き換えるので、微分幾何学のコミュニティに受け入れられた。 同じ年、カルタンの学生のエーレスマン (Ehresmann) は主束、一般にはファイバー束の文脈から微分形式としての接続の多様性を提示した。エーレスマン接続は、厳密にはカルタン接続の一般化ではない。Cartan's equivalence methodとの関係により、カルタン接続は底空間の微分構造と強く結びついている。エーレスマン接続は陳省身のような当時の幾何学者の基礎的な結果に対して、むしろ強固な枠組みであった。陳省身は当時ゲージ接続と呼ばれることになるものを研究するのにカルタン接続から離れている。エーレスマンの視点からは主束の接続は全空間の「水平な」或いは「鉛直な」ベクトル場の仕様から構成されている。このとき平行移動は底空間の曲線を全空間の水平なベクトル場への持ち上げだと見なせる。この視点は、ホロノミーを考える際に特に有用であることが示されている。
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接続の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 16:19 UTC 版)
「接続 (微分幾何学)」の記事における「接続の歴史」の解説
接続は、歴史的にはまずリーマン幾何学において見出された。接続の概念のはじまりをどこに置くかについては諸説あるが、クリストッフェルの研究をその淵源とする見方がある。クリストッフェルは1869年の論文で、座標変換の導関数が満たす関係式の研究を通じ、現在クリストッフェル記号とよばれる量を発見した。これを用いて、リッチはその学生であるレヴィ=チヴィタとともに、彼らが絶対微分学(英語版)とよんだ、共変微分を用いる今でいうテンソル解析の計算の手法をつくりあげた。 レヴィ=チヴィタはまた、1916年に、リーマン幾何学における接ベクトルの平行移動の概念を発見し、これが共変微分によって記述されることをみつけた(レヴィ=チヴィタ接続の名前はこのことによる)。1918年にワイルはそれを一般化して、アフィン接続の概念に到達した。ここで「接続」にあたる語(独: Zusammenhang)がはじめて使用された[要出典]。 それからすぐに、エリ・カルタンによって、さらなる一般化が行われた。カルタンはクラインのエルランゲン・プログラムの局所化を試みていたのである。1920年代にカルタンは、微分形式を用いた記述によって、現在カルタン接続(英語版)と呼ばれるものを発見していった。カルタンのこの仕事により、リーマン幾何学だけでなく、共形幾何学(英語版)、射影幾何学などのさまざまな幾何学を研究するための基礎が築かれた。 しかしカルタンの記述は、微分幾何学の他の基本的概念の整備が進んでいない当時、理解されづらいものだった。その仕事をよりわかりやすいものにして発展させるために、カルタンの学生にあたるエーレスマン(英語版)は、1940年代から主束やファイバー束を研究した。1951年の論文でエーレスマンは、主束の接続を、接分布(英語版)を用いる方法と微分形式による方法の両方で定義した(エーレスマン接続(英語版))。 その一方で、1950年にコシュル(英語版)は、ベクトル束の接続の代数的定式化を与えた(接続 (ベクトル束)(英語版))。コシュルの定式化によると、クリストッフェル記号を明示的に用いる必要は必ずしもなくなり、接続の取り扱いは容易になった[要出典]。
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