戦闘展開
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「ソルフェリーノの戦い」の記事における「戦闘展開」の解説
午前6時、フランス軍右翼がオーストリア軍左翼に対して攻撃を開始、間もなく全戦線で戦闘が開始された。ただし、この時点で両軍首脳とも前線には存在していなかった。フランツ・ヨーゼフ1世は参謀とともに後方のヴォルタにおり、戦闘開始の一報を受け取ると直ちに前線に赴いた。一方のナポレオン3世も後方の司令部におり、報告を受け取ってすぐに前線に向かったが、彼が戦場に到着したのはようやく午前7時半のことだった。 ナポレオン3世は、伯父のナポレオン1世のように戦線を走り回り、兵士を鼓舞して攻撃を指揮したが、彼の意識はもっぱら兵士を前進させ、突撃させることにのみ集中していたため、まったく生産的な効果をもたらさなかった。一方のフランツ・ヨーゼフ1世は、戦況全体をまともに把握しておらず、統一した指揮を取れなかった。20万の軍隊の衝突によって、すでに事態は両軍首脳にも収拾できないほど混沌としており、両軍ともに満足な戦術行動をとれぬまま、ただ目の前の敵と交戦していた。 午後になって、ようやくナポレオン3世は主攻を中央のソルフェリーノに定めることを思いついた。砲兵を集中させてソルフェリーノに猛烈な砲撃を加え、その火力支援のもとに精鋭の皇帝近衛兵を中心とする歩兵を投入した。オーストリア軍の砲火と銃撃に多数の死傷者を出しながら、皇帝近衛兵は丘の一つを占領した。続けて市街へもフランス歩兵が殺到し、両軍入り乱れる混戦となった。 午後2時、オーストリア軍は市街から撤退、多数の犠牲を払った末にフランス軍はソルフェリーノを制圧し、戦線の中央に楔を打ち込んだ。この頃、戦場の上空に急速に雨雲が広がってきた。間もなく激しい暴風雨となり、両軍ともに火器の使用が困難になった。ナポレオン3世は攻撃を続行させ、泥まみれの白兵戦となった。フランツ・ヨーゼフ1世は、ソルフェリーノが陥落したことですでに敗勢を意識し、また自身が戦場の恐怖にもとらわれていたので、全軍の撤退を開始させた。暴風雨の中の撤退はほとんど壊走と変わりなく、オーストリア軍の行方不明者は多数に上った。
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戦闘展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:20 UTC 版)
戦闘開始と同時に、ローマ軍の重装歩兵はカルタゴの歩兵戦列を突破するために前進した。ヒスパニア・ガリア歩兵は少しずつ押されていたが、弓なりの配置のおかげで、ローマ軍中央の前進速度を多少緩やかにすることができた。その間にカルタゴ軍左翼のヒスパニア・ガリア騎兵が優勢な戦力でローマ軍の右翼騎兵を圧倒し、これを壊走させた。一方、カルタゴ軍右翼のヌミディア騎兵とローマ軍左翼の同盟国騎兵は互角の戦いを繰り広げていた。 自軍の戦列中央が圧倒されつつあるのを見たハンニバルは、両翼のカルタゴ歩兵を前進させ、ローマ軍戦列の両翼を押し込んだ。一方、ローマ軍の右翼騎兵を壊走させたハスドルバル指揮下のヒスパニア・ガリア騎兵は、大きくローマ軍の背後を駆け抜けると、自軍のヌミディア騎兵と交戦しているローマ軍左翼の同盟国騎兵を背後から挟撃した。戦力的に劣勢となった同盟国騎兵はほどなく壊走を始めた。カルタゴ騎兵は逃げる同盟国騎兵を追わず、今度はローマ軍中央の後方へと回り込んだ。 ローマ軍の中央戦列は、ほとんどカルタゴ軍中央を突破しかけていたが、戦列の両翼にいるカルタゴ歩兵はいまだ優勢であり、その方面のローマ軍は前進することができなかった。この時点で、ローマ軍中央の陣形はV字になりつつあった。そこへ両翼のローマ軍騎兵を壊走させたカルタゴ軍騎兵が後方から襲いかかってきた。後方を突かれたローマ軍はパニック状態に陥って極度に密集したため、中央の兵は圧死する者まで現れた。前方をガリア歩兵、両側面をカルタゴ歩兵、後方をカルタゴ騎兵によって完全包囲下に置かれたローマ軍は、逃げることも中央突破もできずに殲滅されることとなった。 この戦闘で、ローマ軍はおよそ6万人の死傷者(大半が戦死)を出した。また、野営地に残されていた1万人はカルタゴ軍に降伏し、捕虜となった。その日の最高指揮官であるウァロは戦場から逃れたが、一方の指揮官であるパウルスは戦死した。また、中央の指揮を任されたセルウィリウスも戦死し、他に約80人の元老院議員が戦死した。当時の元老院は、最大でも300人を超えなかったため、4人に1人以上が死んだことになる。一方のカルタゴ軍の損害は6千人ほどであり、その大半は戦列中央のヒスパニア・ガリア兵だった。このように、この戦闘におけるローマ側の人的損失は甚大なものであり、ローマ市民および元老院に大きな衝撃をもたらした。
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