急激な売上落下と膨張する在庫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 08:59 UTC 版)
「イタリヤード」の記事における「急激な売上落下と膨張する在庫」の解説
1996年(平成8年)より、主力のオリジナルブランドに加えて流行を後追いした直輸入品を市場に投入、これをもとにFC店をさらに増やそうと、10月に35億円のユーロ円建て転換社債を発行し、人件費や広告宣伝費として大量につぎ込んだ。ところが、これが全売上の1%程度に留まり、期待を大きく裏切る結果に終わった。その後も売上は芳しくなく、およそ1年あまりで販売打ち切りに追い込まれた。この時期から、特に流行を意識した商品企画がなされるようになり、かつて北村が掲げた「品揃え3分の1の原則」は、定番品3割、アレンジ品2割、新規企画商品5割生産と大きく変更された。 それに呼応するかのように、オリジナルブランドの売上が急落。同業他社が海外の高級ブランドを思わせる類似商品を次々に市場投入したことから、とりわけイタリヤード主力の「アンドレルチアーノ」の人気が離散し、その売上は1996年7月期の約70億円からわずか2年で半減するまでに至った。 1996年から97年にかけてのことだったでしょうか。アンドレルチアーノという主力ブランドの人気に陰りが見え始めました。(中略)私の事業のコンセプトは、こんな服があるべき、あってもええやないか、というものを世に送り続けることでした。流行は、売れる売れへんは、あまり関係ない。しかし、貧すれば鈍するとはよく言ったものです。売れ行きが悪くなると、それまで「ウチには関係ない」と無視してきた流行というものが気になり始める。他社のものをじっと観察するうちに、自然とそれをまねするようになる。こうして作った服がまた、売れるわけがない。イタリヤードの“味”を買いに来てくれるお客様がいてくれて、それでブランドを守ってきたわけです。そのブランドが、よその会社のまねをしたら、何もウチに買いに来る必要なんてなくなってしまうやないですか。 — 北村陽次郎、日経ビジネス第1155号 p.207 他社製品との価格競争が激化した点も挙げられる。1980年代の半ば以降、対ドルレートは長期的に円高傾向で推移し、1995年には特に円高が進展。製造業では、日本国内に比べて「労働力コストが低い」、「資材、原材料、製造工程全体、物流、土地・建物等のコストが低い」中国を主とする海外へ生産拠点を移し、商品コストの抑制を図ろうとする動きが活発化した。しかし、イタリヤードではFC構築にあたって仕入の一元化を図り、価格よりも品質に焦点を置いて提携した糸商、商社との取引に限定していた。そのため、製造業の海外展開が進みゆく状況にあっても、国内工場での加工生産にこだわり続けた。 1997年(平成9年)より「品揃え3分の1の原則」を改めて徹底し、不採算のFC店には他社商品の販売を認める代わりに、取引縮小を行うなどして仕入を減らし始めたが、FC店が従前のように売上に寄与せず、北村曰く「売上至上主義で、実態からかけ離れた仕入れが先行した」イタリヤードの在庫は増え続ける一方で、1998年(平成10年)にはついに5億円の経常赤字を計上することとなった。1999年(平成11年)7月期からは新規のFC店募集を停止し、不採算FC店の整理を行って仕入高の大幅削減と在庫圧縮に取り組んだものの、売上の凋落は止まらず、かといって資産売却や人員削減などの財務体質改善施策を実施することもなかったため、業績は悪化する一方となった。 イタリヤードにおける仕入と在庫実績の推移(各年7月期) 単位:億円1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年仕入高96.75 99.95 111.60 109.66 91.99 63.31 54.94 50.68 在庫高6.11 6.85 10.46 15.81 27.50 20.38 21.43 20.75 イタリヤード「有価証券報告書」より 2000年と2001年の仕入実績は連結ベース
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