影武者
『影武者』(黒澤明) 武田信玄が、「我が死を3年間秘せ」と遺言する。敵のみならず味方をも欺くべく、信玄に瓜二つの泥棒が、影武者に仕立て上げられる。しかし彼は落馬したため側室たちに介抱され、川中島の合戦で受けた刀傷がないことから、にせ者であるとわかり、追放される。
『古事記』中巻 応神天皇の皇子・大山守命は軍備して、弟・宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)を攻め、天下を得ようとした。宇遅能和紀郎子は、舎人を王のごとく変装させ、宇治の山上に絹の幕を張り、呉床に座らせた。百官が舎人に敬礼するので、大山守命はこれを見て、「宇遅能和紀郎子は山上にいる」と思った。
『南総里見八犬伝』第5輯巻之3第45回 犬山道節は、主君の仇である関東管領扇谷定正をねらう。道節は、狩りから帰る定正の行列を待ちうけ、「名刀村雨(*犬塚信乃所持の刀で、網乾左母二郎が盗み、それを犬山道節が手に入れた)を買ってほしい」と言って近づく。道節は刀を献上するふりをして定正を捕らえ、首を取る。しかしそれは定正本人でなく、影武者だった。
*ロボットの影武者→〔二者同想〕2の『2から2を消せば2』(手塚治虫)。
★2.六人の影武者。
『俵藤太物語』(御伽草子) 平将門には、まったく同じ姿の人物が6人、常に影のごとくつきそっており、どれが本物か見分けることはできなかった。寵愛する女房・小宰相の局を訪れる時にも、本物+影武者の7人連れであった。俵藤太秀郷が、本物と影武者の見分け方を知り、将門を討った→〔夫〕5a。
★3.死んだのは影武者で、本物は生きているかもしれぬ、との期待。
『西郷隆盛』(芥川龍之介) 史学科の学生・本間は、急行列車の食堂車で出会った老紳士から「西郷隆盛は生きている。今、隣の一等車に乗っている」と聞かされる。一等車を見ると、たしかに西郷らしい男がいる。本間は「西南戦争で戦死したのは、よく似た別人だったのだろうか?そんなに似た人間がいるものだろうか?」と問う。老紳士は「よく似た人間は、いる。現に一等車の男は、私の友人だが、西郷そっくりだろう」と答える。歴史学者である老紳士は本間に、史実認定の難しさを説いた。
『和漢三才図会』巻第65・大日本国「陸奥」 俗に伝えて言う。源義経は、よく似た人が彼の代わりに死に、自らは家を焼いて蝦夷島(えぞがしま)へ遁(のが)れた。蝦夷島の人は義経に服従し、義経はここで天寿を全うした。土地の人は沙古丹(シャコタン)に義経の祠を建てて神とした(*→〔呪文〕4)。この説は正しいと思われる。鎌倉へ送られた首に少々の異があっても、頼朝はしいて詮索しなかっただろう。
*キリストの場合も、弟が身代わりに死んだ→〔処刑〕1bのイスキリの伝説。
『鷲は舞いおりた』(スタージェス) 1943年。ドイツ軍が、イギリスの首相チャーチルをベルリンへ誘拐しようと計画する。ドイツの落下傘部隊16名が、チャーチルの静養地である某村へ降下する。アメリカ軍との戦闘になり、落下傘部隊のほとんどが死ぬ。生き残った隊長が、チャーチルの滞在する建物に潜入し、彼を射殺する。しかしそれは影武者だった。その時、本物のチャーチルはテヘランにいて、ルーズベルトやスターリンと会談していた。
★5.戦時ではなく平時に、敵ではなく女性を欺く影武者もいる。
『会議は踊る』(シャレル) ウィーン会議の時、宰相メッテルニヒは自分に都合が良いように議事を進めるため、論敵のロシア皇帝アレクサンドルが会議を休むよう、はかりごとをめぐらす。メッテルニヒの依頼を受けたフランスの伯爵夫人がアレクサンドルを誘惑し、会議と同時刻に始まる茶会への招待状を送る。アレクサンドルもメッテルニヒのたくらみは承知の上で、影武者を茶会に行かせ、自身は会議に出席する。
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