建設を巡る論争
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当別川及び石狩川下流部の洪水調節、当別川流域農地への慣行水利権分の用水補給・当別川の流量一定化による生態系保護を図る不特定利水、札幌市・小樽市・石狩市への上水道供給を目的として2012年完成予定であるが、計画当時から反対運動が強く補償交渉が長期化した。特に水没農地面積が350ヘクタールに及ぶことから1997年(平成9年)に水源地域対策特別措置法の「法9条指定ダム」に認定され補償のための国庫補助額が増額された。この結果現在は交渉も妥結し住民は全て退去したが、公共事業再検討の風潮が高まり当別ダムも事業の再検討を迫られた。この中で建設費縮減を図るためにダムの規模縮小が図られ、その一環として台形CSGダムへの形式変更となったのである。 ダムに反対する市民団体は建設差し止めの署名活動を行ったが、建設費を分担する下流受益地の札幌市がダムの必要性を訴え、小樽市も水道供給量を減らしたもののダムは必要であるとの認識を示した。2005年(平成17年)、北海道の諮問機関である「北海道公共事業評価委員会」は当別ダムについて長い間行われた建設可否の議論をまとめ、堤高3メートル抑制と台形CSGダムへの型式変更といった規模縮小・建設費節減の努力を評価してダム建設は妥当であるとの結論を出した。これを受け北海道は凍結状態であったダム建設を継続させると表明し、2012年10月に完成した。
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建設を巡る論争
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建設当初から、古都である京都にこのような建造物が必要なのかについて賛否が分かれている。 これは建設当時、「東寺の塔よりも高いものは建てない」ことが不文律となっていた京都市で歴史的景観との調和のありようが争点となったことを端緒とする。政財界中心の建設推進派と、学者や文化人主導の反対派が世論を二分して議論を交わしたが、これは都市の美観論争として日本で初めてのこととされている。 結局、高さなどの法規制が厳しい建築物ではなく「工作物」として建設されたが、この議論はこののち、1972年(昭和47年)に施行された「京都市景観条例」に制定された巨大工作物規制区域設定の1項目として活かされることとなった。
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