幼少時から修業時代とは? わかりやすく解説

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幼少時から修業時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 11:35 UTC 版)

アントニオ・カノーヴァ」の記事における「幼少時から修業時代」の解説

アントニオ・カノーヴァヴェネト州ポッサーニョ生まれた父親祖父石工および無名彫像家で、ポッサーニョには同業者たち住んでいた。3歳の時、父親亡くなり母親再婚先に嫁ぐことになってカノーヴァ祖父母の手育てられることになった祖父のパジィーノは、スケッチ建築心得いくらかあって、デザイン上手く装飾的な作品作らせるかなりの出来だった。祖父は孫に家名だけでなく、家業継いでもらうつもりでいた。それでカノーヴァ鉛筆握れるようになるとすぐ、祖父スケッチの手ほどきをした。幼い頃カノーヴァ美術勉強明け暮れたが、特に彫刻関心示しもっぱらその勉強時間割いたその結果、その技術著しく向上し、まもなく、祖父仕事手伝うまでになった祖父パトロン中に、ファリエ家というヴェネツィア貴族がいて、少年だったカノーヴァを、ヴェネツィアの上院議員だったジョヴァンニ・ファリエに引き合わせた。ファリエ議員カノーヴァ面倒を見ることにした。カノーヴァはそれに感謝してバターライオン像作った——とは、伝記作家たちが繰り返し語る逸話だが、真偽のほど不明である。事実なのは、ファリエがその後カノーヴァの最も熱心なパトロンになったことで、その子ジュゼッペもまたカノーヴァ生涯の友となった。ファリエはカノーヴァ彫刻家のジュゼッペ・ベルナルディ・トレッツィのところに預けることにした。トレッツィは当時、ファリエ議員アーゾロ別荘近くのPagnano住んでいた、トレッツィの下で、カノーヴァは相当腕を磨いたものと思われるカノーヴァ13歳の時、ヴェネツィア帰省していたトレッツィが亡くなった。トレッツィは死ぬ前にファリエに教え子のことを頼んでいて、ファリエはカノーヴァヴェネツィア呼び寄せ、トレッツィの甥のところに預けた1年間、トレッツィの甥の指導受けた後、カノーヴァ独立し、ファリエの依頼で『オルフェウスエウリュディケー』の制作はじめた2つの像で1組作品で、最初にできたのは、ハデスの元から去ろうとしている、炎と煙に包まれエウリュディケーの像だった。完成したのはカノーヴァ16歳の時だった。それはファリエとその友人たちから高く評価された。その時カノーヴァはこの作品はいずれ世に出すべきだと考えた修道院好意で、空き室仕事場として借りることができた。そこでカノーヴァこつこつと勉強した学校にも通い、そこでいくつかの賞貰った。しかし、カノーヴァ学校勉強以上に頼りしたものは、自然の研究であり模倣であったカノーヴァ人生大部分解剖学の研究捧げるが、それは解剖学こそ芸術秘密であると考えていたからである。カノーヴァ劇場にも足繁く通い出演者表情身振り注意深く観察した。夜はいっさいデザインをせず、目を開けたままでいることに決め、それは数年間、忠実に守られた。どんなものでも、彫刻技術の向上つながりそうなものなら貪欲に吸収した考古学歴史、さらにイタリア語以外のヨーロッパの言語学びはじめた3年間、カノーヴァ彫刻1つも作らなかった。しかし、1776年、『オルフェウスとエウリュディケ』を完成させるため、再びノミ握った。そうして作られオルフェウスは、カノーヴァ大きな進歩示していた。もちろん作品拍手喝采迎えられた。『ダイダロスイカロス』(1779年)も好評だった。この作品カノーヴァ修業時代作品でも最も有名な作品と言われている。何より評価されたのは、そのスタイル簡潔さと自然の忠実な模倣であったカノーヴァ優秀さ評判その時広く世間認められた。カノーヴァはいつかアドリア海岸辺ヴェネツィア)からテヴェレ川岸辺ローマ)へ行きたい考えようになった。そして、24歳になった時、カノーヴァはついに旅立つことになった

※この「幼少時から修業時代」の解説は、「アントニオ・カノーヴァ」の解説の一部です。
「幼少時から修業時代」を含む「アントニオ・カノーヴァ」の記事については、「アントニオ・カノーヴァ」の概要を参照ください。

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