幻視者の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 03:38 UTC 版)
メジュゴリエでの「聖母」の出現を受けたと主張し出したのは、ファチマやルルドのケースとは異なり、年端に達しない一名を除くと16歳から18歳までの流行を追う現代風のごく普通の少年少女であり、彼らは「聖母」の出現を受けた後も、その生活様式を殆ど変えることはしなかった。後述するように、むしろ巡礼者の落とす資金をもとに豪奢な生活を送っている。これは他の聖母の出現の幻視者たちと最も異なっている点である。。ミリアナはイタリアの記者から、あなたは出現を受けても男女交際を依然として続けているし、おしゃべりはあまりに好きだが、と問われると、聖母は私達を表層的な偽善の篤志家にしようとは思ってはいない、ときっぱりと答えたという。また警察の要請を受けて、ある女医は彼女達に、聖母の娘にしてはあなた達は流行を追い過ぎている、と尋ねている。 出現の初期には、子供たちの年齢は11~17歳だった。彼らお互いの出会いはまったく偶然によるものであった。ほとんどの者が相互に家族的な関係はない。住んでいる所、通っている学校、性格も年齢も知的能力もそれぞれ違っている。 医師や精神療法の専門家、また強制的入院という診断を下すよう圧力をかけられた他の専門医が、子供たちを詳しく検査した結果、彼らは皆心身共に健全であると言明せざるを得なかった。 6人が楽天的な嬉しそうな顔をして未来を信じ切っていたのは皆同じように聖母マリアに会ったからである。子供たちは様々な圧迫を受けたけれども、彼らの態度は全然変わらなかった。ユーゴスラビア官憲筋による脅しをはじめ、子供たちが常軌を逸した行動に出ると将来社会生活にはいる時自分自身か家族の者に災いを招くだろうと指摘する者もいたが、彼らはこのような脅しには断固抵抗した。 子供たちは、自分たちが言ったことを人々が一寸でも歪曲したり、また、矛盾する言動が見られたときには断固その誤りを指摘した。 願い事を聖母に取り次いでほしいと頼んだ人たちは、そのお礼に何かを贈りたいと申し出ることがよくあったが、子供たちは何一つ受け取らなかった。特に、お金は絶対に断って、「これは教会に献金してください」と言うのだった。彼らは謝礼も賛辞も求めなかった。両親もまた、受け取れば貧しい生活の助けになるが、受け取ることは決してしなかった。大祝日の前日にはいつも、子供たちは断食を実行し、パンと水しか取らなかった。この模範を真似る人も多く(中略)断食の意味・価値を発見したのである。 質問「(出現以前に)マリアさまに会いたいと望んだことがありますか」に対する6人の回答は、「いいえ。」「そんなことが可能だとは一度も考えたことがありません。」が各1名、「全然ありません。」、「夢の中でも考えたことはありません。」が各2名。 質問「マリアさまがあなたにお現れになったのは何故ですか? 他の者よりよい子だからですか?」への回答は、「わかりません」が2名、「マリアさまは一番よい子を探しているのではないと仰いました」、「マリアさまは、いつも一番よい子を探してはいないと仰いました」、「マリアさまは、一番よい子を探すことは決してないと仰いました」、「わかりません。けれど、僕が他の子供よりよい子であるとは思いません」。(「私は必ずしも最もよい者を選んでいません」とマリアは彼らに語られた。) 質問「マリアさまがあなたにお現れになったのは、あなたが他の子供より親切だからですか?」への回答は、「そうではありません」「わかりません」「そうだとは思いません」が各1名、「いいえ」が3名。 警察署長がヴィッカの胸にピストルを向けた時、彼女は全然たじろぐことはなく、ピストルを真っ正面からじっと見つめていた。(中略)彼女は「ピストルをしまってください。何でも節約しなさいというのが政府の方針だということぐらいはご存じでしょう」と言った。 ヴィッカは神学を一度も勉強したことがないし、しようと望んだとも思われない。にもかかわらず、神学者たちは彼女に会うことを楽しみにしている。(中略)彼らは深く感動する。そして去るときには、幾分「再調整された」と感じるという。彼らが何年もの研究を通じて獲得したすべての知識が、何の文化的背景もない一人の田舎の少女によって、2、3の簡単な言葉に要約されてしまうからである。(中略)問題の核心へと彼らを連れ戻しながら、彼らを訂正したことさえあった。
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