幻視的な旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 07:05 UTC 版)
幻視的な旅はベナンダンティによって精神の旅と説明されていたが、彼らはそのような体験を現実のことだと力説し、それらが現実の出来事だと信じていた。 カトリック教会の断食の期間である、四季の斎日(英語版、イタリア語版)の間の木曜日に、ベナンダンティは夜に彼らの魂が体から小さな動物の形になって出ていくと主張した。ベナンダンティの男性の魂は邪悪な魔女と戦うために野原に向かう。魔女がモロコシで武装しているのに対して、ベナンダンティの男性はういきょうの茎で戦った。(モロコシは魔女の箒に使われ、そのモロコシの箒はモロコシの最も流布している形態の1つだった。)もし、ベナンダンティ達が勝てば、収穫は保証されると考えられていた。 女性のベナンダンティは他の神聖な仕事を行った。彼女たちが体から出たとき、盛大な宴会を開くために彼らが踊りをしているところに移動し、魂や動物や妖精の行進ととも飲んだり食べたりし、そして村人の中で、次の年に誰が死ぬのかを知った。ある説明では、この宴会は「尼僧院長」に統轄されており、尼僧院長は井戸の縁に堂々と座っていたという。カルロ・ギンズブルグはこの魂の集まりを、魔術や占いを伝えた女性神によって同様に管理されていたイタリアやシチリアの各地にある似た集団による他の言い伝えと比較した。 ごく初期の、1575年から始まった、ベナンダンティの旅の解釈は悪魔的な魔女の行うサバトと関係する要素を一切含んでいなかった。そこには悪魔(存在さえしなかったものでも)の崇拝も、キリスト教の否定も、十字架を手荒く扱うことも、サクラメントの汚辱もなかった。
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