幻に終わった建造物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:15 UTC 版)
「世界首都ゲルマニア」の記事における「幻に終わった建造物」の解説
新南北縦貫メインストリートと飛行場 それまでのベルリン南北縦貫メインストリートであるフリードリヒ通りに取って代わり、道幅120m ・南北5kmの道路とされた。後述するフォルクス・ハレより南方向に伸びるルートは、現:96号線道路にほぼ近く(但し、無数の細かい蛇行や、途中で接しているラントヴェーア運河沿いに添って一旦大きく東に迂回する事は無く、幾何学的なまでに直線状の道路として)、旧テンペルホーフ空港ターミナルビルまで続く。フォルクス・ハレ以北部分については、北方向ではなく北西方向に折れる形で伸び、長方形型の巨大人工池を間に挟む形で(反対側である南端に配置されるテンペルホーフ空港に匹敵する巨大規模の)空港ビルまで続く。両空港飛行場を取り巻くように環状道路が6本、放射状道路が17本作られる様になっていた。 東西横断メインストリート 旧来よりベルリンを東西1.4km・道幅60m に渡り横断していた(間にブランデンブルク門を挟み、一直線に繋がっている)二本の東西メインストリート(ウンター・デン・リンデンおよび(ティーアガルテン公園中央を横切る)シャルロッテンブルガー・ショセー(現:6月17日通り))を一体化。現在、ティーアガルテン公園中央ロータリーにある戦勝記念塔は、この整備計画の一環として、帝国議会(現:国会議事堂)前広場より移転された。前述の新南北縦貫メインストリートとは、ブランデンブルク門西手前およびフォルクス・ハレ南手前付近で十字路に交差する。 ベルリン中央駅 新南北縦貫メインストリートの出発点。後述している「ベルリン・テンペルホーフ国際空港」本館ターミナル建物の北方向向かいに立地(東西ドイツ統合後に造られた現ベルリン中央駅、および旧東ドイツ末期に「ベルリン中央駅」を名乗っていたベルリン東駅とは、立地場所など全く異なる)。プラットホームは上下4層あり、エレベーターとエスカレーターで行き来可能とした。 国家中枢区画 都市の南の端には総統宮殿と大理石の巨大な凱旋門がそびえ立つ。新メインストリートは凱旋門から始まる。11の政庁ビルがあり、2万人収容の映画館、1,500のベッド数を持つ21階建てホテルがある。 フォルクス・ハレ(別名「聖杯神殿」)(de:Große Halle) 新南北縦貫メインストリートの端(シュプレー川にノルトハーフェン川がT字状に繋がる地点および現:シュプレーボーゲン公園敷地地点)にはドーム型集会ホール「フォルクス・ハレ(邦訳:国民会議場)」が威容を誇る。1,200人の議席がある国会議事堂(当時の国会は議員席は580席で足りるが、ドイツとは異なる国籍を持ちドイツ国外に居住しているゲルマン系諸民族代表議員達も参加する事を展望していた)なども予定されていた。クルトゥアパーク・プレンターヴァルト 1969年、フォルクス・ハレ建設予定地で開園した(東ドイツ唯一の)常設型遊園地テーマパーク。往時には年間170万人を集客していたが、1990年に旧西ドイツ実業家により民営化され、名称も「シュプレーパーク」に改名。1990年代後半には年間40万人まで集客が激減し、2001年に閉園(経営者はペルーに逃亡)。2011年5月下旬、ドイツ演劇団体「ヘッベル劇場」主催イベント「ルナパーク・ベルリン」の一貫として4日間期間限定で復活している。
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