幻に終わったビワハヤヒデとの兄弟対決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:34 UTC 版)
「ナリタブライアン」の記事における「幻に終わったビワハヤヒデとの兄弟対決」の解説
野平祐二が第54回皐月賞を「大人と子供の戦い」、東京優駿を「1頭だけ別次元」と評したように、ナリタブライアンはクラシック三冠の序盤においてすでに同世代の競走馬を能力的に大きく凌ぐ存在として認識された。そのため1994年上半期の古馬中長距離路線において3戦3勝、GI2勝の成績を収めた兄ビワハヤヒデを最大のライバルとみなし、兄弟対決に期待するムードが高まった。ビワハヤヒデの管理調教師であった浜田光正は、ナリタブライアンが皐月賞を優勝した際に本馬について「4歳春の時点での単純比較なら、すでにビワハヤヒデを超えている」と評し、「順調なら暮れの有馬記念で兄弟対決が避けられないからね」と語り、ビワハヤヒデが天皇賞(春)を優勝した時点で「弟があんな強い勝ち方をするんだから兄の面目にかけても負けられない。年度代表馬の座を賭けることになるだろう」というコメントを出した。ナリタブライアンが東京優駿を勝利した直後には、「兄弟対決は絶対やりたい。それまでビワは放牧に出さずしっかり作るつもりです」と兄弟対決に強い意欲を示していた。一方、2頭の生産者である早田光一郎は、ナリタブライアンが皐月賞を勝った時点で「ビワハヤヒデよりも上」と評価していた。また武豊はビワハヤヒデが宝塚記念で圧勝した直後に「ナリタブライアンなら、もっとすごい勝ち方をしていたはず。現時点でもナリタブライアンの方が上。あの馬の強さはケタ違い」と語っている。 ビワハヤヒデ陣営は後半シーズン開始前にジャパンカップ不出走を表明したため、有馬記念における兄弟対決実現に期待が集まったが、ビワハヤヒデは天皇賞(秋)において発症した故障により引退を余儀なくされ、対決は実現しなかった。天皇賞から一週間後に行われた菊花賞において実況を行った杉本清は、最後の直線でナリタブライアンが先頭に立つと「弟は大丈夫だ」という言葉を数回挿みながらその模様を伝えた。 兄弟の比較について、野平祐二は「中距離では互角、長距離では心身両面の柔軟性に優れるナリタブライアンにやや分がある」と述べている。血統評論家の久米裕は2頭について「血統構成上は甲乙つけがたい」としたうえで、1,600 - 2,000メートルではビワハヤヒデが有利、2,400メートルでは互角、3,000 - 3,200メートルではナリタブライアンが有利と述べている。競馬評論家の大川慶次郎は有馬記念における対決が実現していた場合の結果について、「ビワハヤヒデが有馬記念に出ていたら勝っていたんじゃないか」と予想している。浜田は後に「相手は三冠馬。敬意を表すどころの存在ではないのですが、ハヤヒデの安定性をもってすれば、戦っても面白かったでしょうね」と述べ、ビワハヤヒデの主戦騎手であった岡部幸雄は自身の騎手引退後に出版した自著において「兄弟対決になってもブライアンをねじ伏せられた可能性も低くはなかっただろう」と述べている。
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