島津久林 (日置家)とは? わかりやすく解説

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島津久林 (日置家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 08:14 UTC 版)

 
島津久林
時代 江戸時代中期
生誕 元禄4年11月10日1691年12月29日
死没 明和4年閏9月25日1767年11月16日
改名 久昌(初名)→久林
別名 又吉、左衛門(通称)
神号 泰國閑心男命
墓所 鹿児島県日置市日吉町日置日置島津家菩提寺(吉富山大乗寺跡)
主君 島津綱貴吉貴継豊
薩摩国薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津久健
母:不明
兄弟 久林、久書
久甫、久田
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島津 久林(しまづ ひさもり)は、薩摩国薩摩藩家老日置島津家第8代。

家系

日置島津家は、島津宗家15代当主島津貴久の三男島津歳久に始まり、2代常久以降に薩摩国日置(現・鹿児島県日置市日吉町日置)を領した。明治33年(1900年)に島津久明が男爵に叙され華族となった。

略歴

元禄4年(1691年)11月10日、薩摩藩日置島津家嫡子久健の長男として生まれる。

元禄12年(1699年)3月28日、鹿児島城に登城して元服。藩主綱貴が烏帽子親となり、理髪役は国老島津久輝が務め、島津又吉久昌と名乗った。[1]

享保12年(1727年)10月4日、家督を相続して薩摩国日置領主となる。元文3年(1738年)藩内の家格制定により、一門に次ぎ一所持より上の家格の大身分筆頭と定められた。[2]

寛保3年(1743年)閏4月23日、隠居して家督を嫡男久甫に譲る。

明和4年(1767年)閏9月25日、死去。

出典

  1. ^ 島津家系譜
  2. ^ 鹿児島県史

参考文献




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