山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱時代の坑夫らの生活とは? わかりやすく解説

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山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱時代の坑夫らの生活

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:11 UTC 版)

大嶺炭田」の記事における「山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱時代の坑夫らの生活」の解説

山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱並立時代炭鉱では飯場制度設けられていた。うち、山陽無煙炭鉱の飯場制度会社方針設けられいたもので、飯場親方社員であり、坑夫もやはり社員ではあるが、炭鉱での労働福利厚生飯場担っていた。つまり飯場会社一種下請けのようなのであることには変わりはないが、一応、雇用労務最終責任会社持った。これは会社飯場飯場で働く坑夫基本的に無関係であった他の炭鉱異なるところであった実際に飯場で働く坑夫対す福利厚生はかなりずさんなものではあったが、それでも他の炭鉱よりは近代的と言える組織風通し良かった飯場制度メリットとしては、当時坑夫スカウトにとって都合よかったことが挙げられる大嶺炭田炭鉱では、坑夫は主に比較的近い宇部炭田筑豊炭田炭鉱集めていた。坑夫集めといって実際に引き抜きであり、また当時坑夫荒くれ者多く鉱夫スカウト苦労多かった坑夫引き抜きの際のトラブル対処し更には荒くれ者坑夫対処しながら人集めを行うことは炭鉱一般職員にとって困難であり、その結果として宇部筑豊人脈があり、場慣れした飯場親方に頼ることになった飯場ごとに人集め行っていたので、同じ大嶺炭田内の飯場同士坑夫集め巡ってトラブルとなることも少なくなかった飯場同士トラブル日常茶飯事で、たとえば当時娯楽少なかった大嶺炭田内で数少ない娯楽施設であった大嶺駅前の帝国劇場は某飯場との関わり合い強く、他の飯場坑夫たちが劇場に行くことに対して嫌がらせをしたという。 そして山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱並立時代は、それぞれの会社つながりがあるやくざ組織が、会社同士競合歩調合わせるかのように抗争繰り返した山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱合併話もやくざ組織抗争障害となったというが、警察取り締まった機会捉えて合併決めたとも伝えられている。 山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱並立時代末期1930年昭和5年)の記録では、山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱合計坑夫は男634名、女319名という記録残っている。この頃までは婦女子坑内働いていたが、1933年昭和8年7月以降婦女子坑内労働禁止された。炭鉱で働く労働者たちが住む炭住には、炭鉱規模大きくなってきた大正の頃から、近隣農家野菜、果物などを行商しに来るようになった。またやはり大正時代には、仙崎取れた売りに来たという。そして前述した大嶺駅前にあった帝国劇場上演される芝居は、他にめぼしい娯楽が無い炭鉱労働者にとって息抜きの場所であり、少々遠い場所からも芝居を観にやって来た。酒を飲みながら芝居を見るうちにけんかとなって流血事態へと発展することもあった。 1926年大正15年9月には、大嶺無煙炭鉱で労働争議発生した新聞報道によれば争議日本労働総同盟関与したと見なされており、当初大嶺無煙炭鉱の坑夫350名のうち、約半数参加したという。2割5分の賃上げ、9時間労働を8時間短縮、そして炭鉱住宅改築ないし修繕を行う等、8項目の要求掲げた争議坑夫の約3分の2参加するまで拡大したものの、会社側は1割の賃上げ、8時間半までの時短という回答を出しそれ以上要求認めずロックアウト、全坑夫一斉解雇も辞さずとの強硬姿勢臨んだという。結局争議大きな混乱を見ることはなく、会社側が提示した条件坑夫側が受け入れたことによって解決した。 なお山無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱の並立時代、両炭鉱属さない中小炭鉱としては、大嶺炭田北部嶺、美福無煙荒川地区山、有ノ木、長尾荒川三友)、南部滝口第三荒川などの炭鉱稼働していた。

※この「山陽無煙炭鉱と大嶺無煙炭鉱時代の坑夫らの生活」の解説は、「大嶺炭田」の解説の一部です。
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