専従活動家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 09:41 UTC 版)
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。 1929年(昭和4年)12月13日深夜、「今起て!」との神の啓示を受けたとして、当時勤務していたヴァキューム・オイル・カンパニーを辞め、文筆活動でニューソート流の成功哲学を全世界に宣布せんとの志を立て、『生長の家』誌の執筆に着手。翌1930年(昭和5年)3月1日に、神道、仏教、キリスト教に現代科学を加味して完成したとする、『生長の家』誌1000部を自費出版。教団は、その発行日を立教記念日としている。 雅春は、真理の言葉の力による人類光明化運動の実現を目指し、「言葉こそ真理そのものである」として「声字(しょうじ)即実相」の真理を説き、言葉・文字を用いて「大宇宙の真理」を懸命に書き続けた。雅春の説いた教えの根本原理は以下の2点である。 人間はみな神の子であり、無限の愛、無限の知恵、無限の自由、その他あらゆる善きものに満ちた永遠不滅の生命である。 現象界は心の現れであるから、人間の実相は神の子であるという真理を悟れば、現象世界においても幸福が現れる。 また、神道や仏教、キリスト教など諸宗教は、その根本においては一致しているという「万教帰一」の立場を取っている。 第二次世界大戦期に急速に右傾。国家主義・天皇信仰・感謝の教えを説いた。こうした教えを記述した雅春の著作は、信徒間で「愛国聖典」と呼ばれた。海ゆかば斉唱反対運動をするなど当時の軍部と対立する面もあった一方、「皇軍必勝」のスローガンの下に戦闘機を軍に献納するなどして大東亜戦争への協力もした。なお当時の信者には、高級軍人の家族が多くいた。
※この「専従活動家時代」の解説は、「谷口雅春」の解説の一部です。
「専従活動家時代」を含む「谷口雅春」の記事については、「谷口雅春」の概要を参照ください。
- 専従活動家時代のページへのリンク