寒山寺の鐘とは? わかりやすく解説

寒山寺の鐘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 03:45 UTC 版)

寒山寺」の記事における「寒山寺の鐘」の解説

張継の詩に詠まれた寒山寺の鐘は、唐代鋳造されたものと考えられるが、失われ久しかった。 明代嘉靖年間に、本寂禅師によって2代目の鐘が鋳造され鐘楼建てられたが、この鐘も16世紀末葉から17世紀前半にかけて失われてしまった。 従前より寒山寺では2つの鐘が用いられていた。ともに最後に寒山寺再建された、約100年前清朝末期のものである。ひとつは1906年中国製造され大きい鐘であり、もうひとつは、同じ頃に日本鋳造されたものである初代内閣総理大臣伊藤博文による以下のような銘文が鋳されている。 姑蘇寒山寺歴劫年久、唐時鐘声、空於張継中伝耳。嘗聞寺鐘転入我邦、今失所在山田寒山捜索尽力、而遂不能得焉。乃将新鋳一鐘齋往懸之。 決し大きなものではないが、音色清澄であると同時に荘厳さがあり、余韻素晴らしと言われていた。 原型となった唐朝時代の鐘は古い時期日本持ち去られたと信じている人(伊藤博文康有為を含む)がおり、これについては、中国人韓国人の間で論争となったことがある実際明治末年当時から、鐘は倭寇盗んで日本持ち帰ったという話が現地にのこり、それに当惑した日本人多かったようで、山田寒山という僧は、日本各地訪ねて鐘を探したが見つからず伊藤博文また、これを聞いて配して部下に探させたが、やはり見つからなかったので、1905年山田伊藤発起人となり、寄付集めて梵鐘鋳造することにしたものである。完成した鐘は唐風銅鐘青銅製乳頭鐘)で、1914年寒山寺寄贈された。この鐘は、現在、大雄宝殿右側にある。 鐘楼懸けられている清の光緒32年1906年)の大鐘は、当時江蘇巡撫陳氏寒山寺修復した時に鋳造されたものであり、鐘の高さは1.3メートル口径1.24メートル重さ約2トンのものである。この鐘を撞くと、42秒間響き続けるという。これが3代目の鐘とされる4代目とされる鐘は、1986年民豊鍋廠という工房製作された鐘で、高さ2.25メートル外周1.5メートル重量2.5トン梵鐘づくりの名工呼ばれた吉人が、北京所在する大鐘寺の資料によって唐代の鐘を再現したものであった2005年寒山寺によって注文され5代目にあたる鐘は、武漢工房製造され近年完成し寒山寺移送された。「古寒山寺」と大書され、法華経が鋳されており、特設された東屋のなかに安置されている。純度高く重さ108トンにおよび、高さ8.5メートル最大5.2メートル大型のものである

※この「寒山寺の鐘」の解説は、「寒山寺」の解説の一部です。
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