冨士眞奈美
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冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優・随筆家・俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。
注釈
- ^ 本人は後のインタビュー記事で、「普段神様を信じない父でしたが、この時ばかりは父は日記で神頼みをしていました。後にそのことを知りましたが、その内容は『男の子(長男)はわれわれに授かった宝物ですから、この子だけは助けて下さい。(どうしてもあの世に)連れて行くならこっちの子にして下さい』って私を捧げようとしていたんです。ひどすぎると思わない?」と述懐している[3]。
- ^ 本人は「当時滝野川の近くは軍関連施設が偏在していたので、区内は特に甚大な被害を受けたことでも知られています。祖父が健在であれば、私は滝野川小学校に入る予定でした。もしあのまま滝野川に住んでいたら、今の私はいなかったかもしれません。人の歴史というものは分かりませんね」と回想している[3]。
- ^ 冨士が当時聴いた噂話によると、その教師は将来を嘱望されていたテノール歌手だったが挫折し、東京から冨士が通う中学に音楽教師としてやって来たという。
- ^ 山岡は妹が赤ん坊を出産した後、病院でその子を抱かせてもらった。その後冨士に「私が欲しかったのは女優としての名声ではなくて、この(赤ん坊の)重みだったんだわ。でも、(年齢的に)もう取り返しがつかない、そう思ったら泣けちゃった」という話[1]。
- ^ 山岡の話以外にも本人は「女優の仕事は欲を出すときりがないし、辞められない。また、当時ちょうど同世代の女優さんたちも出産ラッシュの時期でしたし」と回想している。
- ^ リアルタイムで観ることについて本人は、「今、自分が過ごしているその時間に、彼ら(選手たち)も緊張して勝負に臨んでいるのかと思うと、胸が踊るんです。彼らは過酷な練習を積み、勝負の時間を迎える。とてもスリリングだし、そんなアスリートの姿を見られることはすごくありがたい頂き物。『生』を実感します」と語っている[1]。
- ^ 岸田とは、1962年のテレビドラマ『鏡子の家』で親友役として出演して以来、親友に。冨士が結婚している間に岸田と吉行が仲良くなり、離婚後、吉行と俳句の会で仲良くなったという。
- ^ ただし渋沢は、冨士が生まれる前の1931年に亡くなっている。
- ^ 後に本人は「多分、若い頃にもう一生分飲んで酒量のキャパ(容量)を超えちゃったのね」と語っている[1]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af “大雑把に四捨五入の考え方で、自分をラクにするの”. マンション生活情報サイト「Wendy-Net」より「Ms Wendy」 (2012年5月掲載). 2023年6月16日閲覧。
- ^ “冨士眞奈美”. NHKアーカイブス. 2023年8月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j “冨士眞奈美、子ども時代を語る”. 週刊女性PRIME (2021年10月3日). 2023年7月6日閲覧。
- ^ a b c “田村正和、財津一郎、 田中邦衛…あの国民的名優は今もお元気なのか(週刊現代)(4/5)”. 現代ビジネス (講談社). (2019年9月29日) 2019年11月17日閲覧。
- ^ 『いつみても波乱万丈』出演時の本人コメントより。
- ^ a b 『女性自身』1981年5月14日・21日合併号。
- ^ 輪唱 - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ “平均年齢65歳 高橋克実主演ドラマに伊東四朗、角野卓造らが出演”. ORICON (2015年6月2日). 2015年6月2日閲覧。
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