宮津藩の動向とは? わかりやすく解説

宮津藩(加悦谷)の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 20:58 UTC 版)

丹後ちりめん」の記事における「宮津藩加悦谷)の動向」の解説

機業保護奨励した峰山藩異なり他領含めて7万石宮津藩属す加悦谷地方丹後ちりめん苦難の道たどった当時宮津藩であった青山氏は、機業はあくまで副業との認識から、西陣など外部勢力妨害に対して保護政策をとったが、一方では、機業を行う農民に対して農耕怠っている」として圧力をかけ続け、創織後28年目の1749年寛延2年)には、機業停止弾圧行った前述のとおり自然条件から農耕だけでは暮らし維持できない算所中心に加悦谷農民達は、逃散辞さない構えで藩と交渉重ね年貢の不足は縮緬代銀納入する申し出てなんとか機業続けられることになったが、その代償として過酷な「機方運上営業税)」を取り立てられることとなった機業停止命令その後も2~3度あり、農民側はその都度御免」を陳情し多額税金負担した1759年宝暦9年)、青山氏から本荘氏6万石へと藩主が代わっても方針変わらず農民暮らし絞り続けた1762年宝暦12年)には許可得たもの以外は縮緬織ってならないとする「機制度設け1775年安永4年)には機数改めが行われて一機あたり40匁が課税された。そのような圧政にあっても、加悦谷地域において機業は生活のために欠くことのできない生業であり、1軒で複数の機を持つことも多かった宮津藩領内の機数は、1771年明和8年)には302台に達し、その半数近く発祥の地である加悦谷三河内村加悦後野占めていた。機数はさらに増え1803年享和3年)には、宮津藩領内全体で979台、このうち加悦谷地域743台を占めていた。 本荘氏の5代目藩主1808年文化5年)に25歳家督継いだ本荘宗発は、田舎大名として異例出世街道突き進んだが、その陰に莫大な賄賂献金があったといわれており、宮津藩財政火の車だった。そのため、「六公四民」とよばれる米の収穫高の6割を年貢として納めさせる元々の公租年貢加え、「お講」「お頼み銀」と次々に税を課し、ときに先納命じた。「御預け米」と称されその先納は、毎年、米1万5千俵を前納させるものだったが、さらに「追先先納」と称して1万5千俵をとりたてる決定下された。もともと土地痩せていて農耕だけでは暮らせないがゆえに機を織る土地柄で、米3俵の先納容易に受け入れられることではなかった。1821年文政4年)には莫大な献金の必要が生じたことから、領内国勢調査し、男女7歳以上70歳以下の者すべてから1人1日銭2文の人頭税万人講」を徴収したこの人頭税も当初は3文徴収することが計画されたもののさすがに反対する家老もあり、2文になったものと伝えられる加悦谷農民重税にあえぐ一方で、藩権力と結びついた岩滝村(現・与謝野町岩滝)や宮津城下の有力商人多く無制限に闇機をつくり、それまで機方のなかったにまで闇機をはやらせ粗製濫造し、寛政の改革後の品不足の中でそれらの悪質なちりめん売りさばいて富を築いていた。1822年文政5年12月勃発した丹後地方では史上最大規模百姓一揆いわゆる文政一揆は、このような宮津藩圧政と、藩権力と結びついた商人への怒り背景にある。文政一揆では、闇機業・闇売買行っていた商人ことごとく打ちこわしにあった。その数は5日間で55軒とも60軒余とも記録されている。文政一揆農民側の完全勝利で終結し、追先先納と万人講は廃止された。しかし、一揆首謀者対す詮議直後始められ最終的に一揆主導した吉田新兵衛下農民5名が死罪又は永牢となり、貢租軽減主張していた藩政改革派の宮津藩家老栗原右衛門その子息も格禄取り上げのうえ入牢となった。このほか幾人かが追放などの処分受けた

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