宮津市制施行後
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1954年(昭和29年)、世屋村・宮津町・栗田村・吉津村・府中村・日置村・養老村・日ケ谷村の1町7村が合併し、世屋村は宮津市の一部に組み込まれた。1944年(昭和19年)には「上世屋」で学校と民家1軒以外の集落全てが燃え尽きる大火があり、丹後半島全体を襲った1963年(昭和38年)2月の三八豪雪と合わせて世屋地区の過疎化を進めた。三八豪雪では600cmを超える積雪があり、電柱がすっぽり埋まってしまうほどだったという。1961年(昭和36年)には「浅谷」、1964年(昭和39年)には「東野」、1972年(昭和47年)には「駒倉」の各地区で過疎化の進行により人家が消滅した。 1970年代には「木子」に国営開発農地を造成する計画が持ち上がり、1983年(昭和58年)国営農地開発事業「丹後東部」として着手されると1988年(昭和63年)に18.4ヘクタールの農地を持つ木子団地が完成した。1980年代前半には過疎対策事業として世屋高原家族旅行村の設置計画が持ち上がり、1985年(昭和60年)4月にオープンした。2007年(平成19年)に世屋高原は丹後天橋立大江山国定公園に指定され、年間約2万人の観光客が訪れる観光地となった。ペンションや宿泊施設などがあり、遊歩道などが整備されているため、夏季には平地より3-4度低い気温を生かした避暑地として賑わい、秋季には紅葉狩り、冬季には雪遊びやスノーハイクができる。2007年(平成19年)秋には長澤雅彦監督作で加藤ローサ主演の映画「天国はまだ遠く」のロケが宮津市を舞台にして行われ、「松尾」の一本桜や「上世屋」の世屋姫神社などが登場している。
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