実験潜水艦
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「レイトン (潜水艦)」の記事における「実験潜水艦」の解説
1960年初めにレイトンは沿岸での作戦活動に従事し、新型ソナーの評価試験、水中破壊工作部隊の訓練を行った。1960年7月1日にレイトンは AGSS-270 (実験潜水艦)へ艦種変更された。変更後の1961年1月から4月までメア・アイランド海軍造船所で大規模オーバーホールが行われ、作業が完了するとレイトンは1961年7月3日に4度目の第7艦隊配備に入る。12月19日にサンディエゴに帰還した。翌1962年は西海岸での艦隊訓練に従事し、航空、水上および潜水艦部隊を支援した。レイトンの戦後5回目の西太平洋配備は1963年1月から6月まで行われ、アメリカ軍とSEATOとの2度の大規模合同対潜水艦戦演習に参加している。1963年11月から1964年3月初めまでオーバーホールを行い、その後7月6日から12月23日まで再び極東に配備される。レイトンは相互防衛援助プログラムの下、タイ、フィリピン、中華民国の海軍と協力して活動した。1965年と1966年前半は沿岸での活動を行い、4月半ばに再び第7艦隊に所属して活動する。この間にSEATOとの合同演習「Sea Imp」に参加した。レイトンは1966年10月17日にサンディエゴに帰還した。 1967年はサンディエゴ沿岸での活動、予備役兵の訓練及び半年ごとのオーバーホールで費やされた。1968年5月20日、21日にレイトンは小型航洋タグボートによる沈没潜水艦からの救助訓練の試験艦任務に従事した。レイトンの最後の西太平洋配備は1968年7月15日に始まり、8月7日に横浜へ到着する。この間に第7艦隊とSEATOへの訓練任務に従事する。レイトンは1968年12月20日にサンディエゴに帰還し、1969年6月28日にメア・アイランド海軍造船所で退役、除籍された。装備が取り外された船体は太平洋艦隊の砲撃訓練の標的艦に指定された。レイトンは1973年12月10日にスクラップとして売却された。 レイトンは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。
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実験潜水艦
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「レッドフィン (潜水艦)」の記事における「実験潜水艦」の解説
1959年4月にレッドフィンはフィラデルフィア海軍工廠で慣性誘導システムが装着された。レッドフィンはポラリス運用潜水艦で使用される慣性誘導システムをテストするための実験艦となった。レッドフィンは最初の弾道ミサイル潜水艦であるジョージ・ワシントン (USS George Washington, SSBN-598) に先立って第14潜水艦隊の旗艦となった。 1963年4月に事故を起こしたスレッシャー (USS Thresher, SSN-593) の探索後、レッドフィンは6月28日に AGSS-272 (実験潜水艦)へ艦種変更された。レッドフィンは大西洋で特別調査及び開発実験を行い、実験終了後の1967年5月15日に予備役となりメリーランド州ボルチモアで予備役訓練艦となる。レッドフィンは1970年7月1日に除籍され、1971年3月3日にデラウェア州ウィルミントンのノース・アメリカン・スメルティング社に売却された。 レッドフィンは第二次世界大戦の戦功で6個の従軍星章を受章した。
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