キューバ危機以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/08 06:19 UTC 版)
「パイパー (潜水艦)」の記事における「キューバ危機以降」の解説
1962年の秋にキューバ危機が発生すると、パイパーはカリブ海に展開した。1963年10月8日には再び第6艦隊配備で地中海に向かう。スエズ運河を通過し、パキスタンのカラチでCENTOの演習 Midlink VI に参加、その後12月初めに地中海に戻り、続いて1964年2月1日にニューロンドンに帰還した。1964年は大西洋艦隊の演習に参加すると共に、ポーツマスやオランダのロッテルダムを訪問した。1965年の前半にポーツマス海軍造船所でオーバーホールを受けた後、パイパーは10月1日にカリブ海に向けて出航、その後1966年4月10日に再びカリブ海に向かう。1966年の残りはニューロンドンの潜水学校での任務に従事した。1967年3月22日、パイパーの主電源装置の出力が低下し、水上での活動に制限される状態に陥った。この時までにパイパーは13,724回の潜航を経験していた。5月10日にパイパーはノーフォーク海軍造船所入りし不活性化工事が行われる。6月15日には AGSS-409 (実験潜水艦)に艦種変更され、翌日「特別予備役」状態としてセロ (USS Cero, SS-225) に代わってミシガン州デトロイトの海軍予備役兵訓練艦となった。その後、パイパーは1971年6月にスクラップとして売却され、7月1日に退役、除籍された。 パイパーは第二次世界大戦の戦功で4個の従軍星章を受章した。
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