宗教的な原資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 13:57 UTC 版)
多くの神々がエジプト初期王朝時代(紀元前3100年頃-2686年)の芸術作品に現れるが、これらには最小限の著述しか含まれていないため、神々の行動に関してはこれらの資料から殆ど集めることができない。エジプト人はエジプト古王国時代により広く著述を使うようになり、そこでエジプト神話最初の主要な原資料であるピラミッド・テキストが現れた。これらテキストは紀元前24世紀に始まるピラミッドの内部に刻まれた数百の呪文を集めたものである。それはピラミッドに埋葬された王たちが安全にあの世を通過できるようにすることを意図した、エジプト最初の葬礼文書であった。呪文の多くは、創世神話やオシリス神話を含め、あの世に関連した神話を暗示している。テキストの多くは最初に書かれた既知の複製よりもはるかに古いもので、従ってそれらはエジプトの宗教的信仰の初期段階に関する手がかりを提供している。 エジプト第1中間期(紀元前2181-2055年頃)に、ピラミッド・テキストは同様の素材を含むと共に非王族でも利用可能なコフィン・テキスト(英語版)(棺の文章)へと展開された。新王国期の死者の書やエジプト末期王朝(紀元前664-323年)以降の呼吸の書(en)のような後継の葬礼文書は、これらの初期のコレクションから発達したものである。また新王国期では、太陽神の夜の旅について詳細かつまとまった記述を含む、別のタイプの葬礼文書の発展も見られた。この種のテキストには『アムドゥアト(en)』『門の書(en)』『洞窟の書(en)』などがある。 現存する遺跡の大部分が新王国期以降のものだが、神殿はもう一つの神話の資料源である。多くの神殿は、儀式用やその他用途のパピルスを保管するペル=アンク(アンクに関する書庫)や神殿図書館を備えていた。これらパピルスの一部には神の行動を褒め称える賛美歌が含まれており、しばしばそれらの行動を定義する神話に言及している。神殿の他のパピルスは儀式のことを説明しており、それらの多くは部分的に神話に基づいたものである。これらパピルスを集めた散在する遺物は現在まで残っている。コレクションがより体系的な神話の記録を含んでいた可能性はあるが、そのようなテキストの証拠は現存していない。神殿建物の装飾には、神殿のパピルスのものと同様の、神話のテキストや絵図も見られる。プトレマイオス朝およびアエギュプトゥス時代(紀元前305-西暦380年)の精巧な装飾が施されて保存状態も良い神殿は、特に豊かな神話の原資料である。 エジプト人はまた、病気の予防や治癒といった個人的な目的のための儀式も行なっていた。これらの儀式は宗教的というよりむしろ「魔法(呪術)的」と呼ばれることが多いが、それらは儀式の基礎として神話上の出来事を呼び起こす神殿の儀式と同じ原則で作用すると信じられていた。 宗教的な原資料からの情報は、彼らが記述および描写できるものへの伝統的制約のシステム(いわゆるタブー)による制限を受けている。例えば、オシリス神の殺害はエジプトの著述だと決して明示的に書かれていない。エジプト人は言葉や絵図が現実に影響を与えうると信じていたため、彼らはそうしたネガティブな出来事が現実に起こってしまうリスクを避けていた。また、エジプト美術の慣習は物語全体を描くのにあまり適しておらず、そのため大半の神話関連の芸術作品はまばらな個々の情景で構成されている。
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