宗教団体法成立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:03 UTC 版)
文部省に設置された宗教制度調査会での議論及び審議を経て、各宗教団体を法制度下に置き、各宗教団体が自主的に定めた規則を守らせる事を目的にして、宗教団体法の制定に関する立法府への答申が行われたが、何度も反対多数によって否決された。しかしながら、粘り強い説得によって、1939年4月8日法律第七十七号によって宗教団体法が成立したことによって、立法府は法的には『神社非宗教論』を放棄した。なぜならば、『教派神道』は法律によって指定を受け、承認されなければならなくなったからであった。 ここで注意しなければならないのは、『神社神道』の行政上の管轄は内務省側にあった事である。その他の宗教は文部省が所管しており、建前としての『神社非宗教論』を維持する事は可能だったからである。 なぜならば、当時の状況を加藤玄智は言う 時世は駿々と進歩する。学問研究も次第にその視野が広げられる。十九世紀以降東西両洋の文明は長足の進歩をした。宗教学は最早こういう風に神道信仰神社神道を以て、宗教に非ずとする立場を是認し得ない様にして来た。....そこで今日では神宮神職の入でも、腹の奥底を覗けば、神社神宮が宗教であると言うことを是露しない人は先づ無い様になった。 反対に非宗教論を唱えた人々(明治神宮宮司一戸兵衛、東京府神職会神社制度確立期成会、宮西惟助、河野省三、今泉定助)らの意見を総合すると、 神社は、わが国初より国体と不可分に存在する日本民族固有の信仰であり、憲法の根底である。憲法の条章の中に、神社に関して何ら定めるところのないのは当然であり、神社に対する日本国民の信仰は、この憲法の信教自由の状況の支配を受くべきものではない。その内容は、民族固有の思想信仰に、道徳的な儒教と宗教的な仏教思想とが加味されて一丸となったものであり、道徳的分子と宗教的分子とが渾然一体となっている神社祭祀の形式中には、いわゆる宗教的行為に類するものはないでもないが、その部分をとって宗教法令の範疇に置くことは、完全なる神社制度というべきではない。神社制度は、神社の現状の全幅員を抱擁して定立させるべきであり、端的にいえば、翻訳法の境涯を離れて帝国独自、万邦無比の形式をもつべきである。 と主張した。 1930年頃に内務省神社局が作成したと見られる「宗教法案ト神社トノ関係二就テ」では、 神社は制度上国家の公の祭祀を目的として存在する。同時に国民個人は神社によって信仰の対象を得ることができるが、それは制度上神社の本来の目的ではなく、神社の制度に随伴する反射的利益に外ならない。国は主義として国民個人の信仰に干渉しない(大日本帝国憲法28条)から、神社が国民個人の信仰の対象となることは制度上国家が神社を経営する目的ではないことは、あらためて説明を要しない。もし神霊の存在を認めることを前提とするが故に神社は宗教なりとしょうせなならぬとするならば、即ち神社はわが国の宗教だといってもよい。ただ国家自ら神祇を祭祀することは古今東西を通じて他に類例のないところであるから、それは欧州各国の歴史に所謂国教とは、厳に区別されねばならぬ。要するに、学問上の宗教の定義如何にはかかわらず、神社は制度上わが国家の祭祀である。 とした。
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